2007年10月02日

再度信長考

朝師匠は拡大鏡片手に小三治師匠のDVDの解説書を読んでいました。
年取ると本を読むのも大変ですね。


信長の天下取り計画とは京を目指して室町将軍を擁立し傀儡として最後は追い出すというものだった。尾張を統一して今川を撃退した後の行動が理にかなっている。
近江の浅井と婚姻を結び義父斎藤道三の遺領美濃を攻略する。美濃は壬申の乱の昔から交通の要衝で美濃攻略にかなり時間をかけていることからも重視していた事がわかる。完全に美濃を手中に治めると幸運にも足利義昭が信長を頼ってきた。これには明智光秀の働きもあっただろう。明智光秀と信長の正妻帰蝶は縁戚である。その後義昭を奉じて上洛する。計画通り。

信長と他の大名の違いは既存の秩序の否定ということだろう。信長は室町幕府の政治体制を古いと考え、もはや利権団体と化していた寺社勢力も疎ましく思っていた。これが武田信玄等との決定的な違いだと思う。世の中が望んでいたのは新しい秩序であって、それを実現してくれるのが信長だった。出家してしまうような武田信玄や上杉謙信は望まれていなかったのだ。

信長といえば非情というイメージもある、例えば「一銭斬り」。
文字通り一銭盗めば死刑になるという恐ろしい法。当然住民は震え上がったが、これが逆に治安を回復する効果になった。誰も悪い事をできなくなった。信長の領内では女が一人旅をできたという。後の「生類憐れみの令」に通じるものがある。

信長は中世最大の政治家だと思いますが如何なもんでしょう。
posted by 入船亭扇里 at 01:13| 東京 ????| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記