2007年11月08日

生まれる自由は無いのだから

関内・梅香亭のハヤシライスは男女によって盛りが違うんだな。もし女性が沢山食べたいのだったら「男並み」とか言えば良いのだろうか。


「青少年のための 自殺学入門」寺山修司/河出文庫

私は家出と自殺の肯定者です。
ただし借金苦からの自殺とか失恋からの自殺というような自殺は自殺の価値を不当に落とす。自殺はやはり次へのステップでなくてはならない。そんな私は自殺しないだろう。
自殺のパイオニアとも言えるのはやはり藤村操。18歳で華厳の滝に飛び込んだ。彼は傍らのミズナラの木を削り「巌頭之感」という遺書を残した。

悠々たる哉天壤、
遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て比大をはからむとす、
ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、
大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。

この件により華厳の滝は自殺の名所となり、彼の死後4年の間に華厳の滝で自殺を図った者、未遂の者は200人を超えた。
posted by 入船亭扇里 at 23:26| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

髭剃りあとが痛い

前回のエントリだと朝廷はかなり長い間武士を忌み嫌っていると思っているようですが、その通りです。

後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒す為に武士の力(足利尊氏、新田義貞、楠正成等)を使いましたが、満足な報奨を与えませんでした。何故武士が後醍醐天皇に従ったかというと、鎌倉幕府が武士の政権として既に機能しなくなっていたからで、尊氏は幕府を倒した後に将軍になれると思っていました。後醍醐天皇が任じてくれないので勝手になってしまうのですが。

その前の承久の乱の時も後鳥羽天皇の元には軍事力はありませんでしたが、やはり鎌倉に反抗する武士の力を借りたのです。この武士達も北条氏に自分が取って代わるつもりだったのでしょう。

その前でも保元の乱の時も実際に戦をしたのは源氏と平氏だけで朝廷に軍事力が無かった事がよくわかります。ずっと後の戊辰戦争でも薩摩と長州の兵を中心としたわけで、本当にずっと軍隊が無かったわけです。武士というのはあくまで私兵ですから。

以上前回の解説でした。
posted by 入船亭扇里 at 00:22| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする