2007年12月07日

尼子十勇士を知ってるかい?

真田十勇士は有名だがこっちはちょっとマイナーだ。
真田十勇士もそうだが尼子十勇士も講談のヒーローです。そして同様に実在性は疑わしい。

一人くらいは実在が確かな人がいるもんで、山中鹿介がそれ。
改めて鹿介の生涯を追ったらこれが凄まじい。
戦国大名尼子氏の庶流にあたる鹿介は尼子義久の毛利家への降伏という事件から歴史に登場する。「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈り尼子家再興を誓う。
京の寺に居た尼子勝久を還俗させる。実は勝久は幼少時に義久に殺されそうになったところを逃げ出家していた。勝久を擁立し尼子旧臣を集め隠岐から出雲へ渡り月山富田城を除くほぼ出雲全土を手中に収める。ところが次第に統制を欠き毛利元就の次男吉川元春に敗れてしまう。鹿介も捕虜となったが厠から脱出する。
尼子遺臣団は信長に謁見し中国攻めの先陣を買って出る。もうお家再興にはこれしかなかった。ところが信長は捨て駒くらいにしか思っていなく、またも毛利軍に敗れてしまう。
その後秀吉の軍団に組み入れられ播磨国に送られ上月城に拠って尼子再興を目指すが、またも信長の作戦上孤立してしまい毛利軍に敗れ勝久は切腹、鹿介も降伏する。鹿介は毛利輝元の下へ護送されている途中に謀殺されたという。
尼子旧臣は亀井茲矩の部隊のみとなったが亀井は秀吉に従い、関ヶ原でも東軍に付き幕末を迎えた。尼子家再興とはいかなかったが尼子魂くらいは残ったのだろうか。
鹿介の長男山中幸元は鴻池直文と名を変え大坂で酒造業を創め鴻池財閥の祖となった。毛利家には金を貸さなかったらしい。
posted by 入船亭扇里 at 20:11| 東京 ????| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記