2005年12月26日

アグネスデジタルが強過ぎる

ディープインパクト敗退ってのは、JRAも困るんだろうな。
後楽園場外はディープ一色だったのに。

万延元年(1860年)故郷の萩藩の要請により江戸在住のまま出仕して長州藩士となる。扶持は年米25俵。文久3年(1863年)萩に帰国。西洋学兵学教授となり、博習堂での講義を行う。慶応元年(1865年)には馬廻役譜代100石取の上士となり藩命により大村益次郎永敏と改名。藩政改革における軍事体制の整備を担当し、慶応2年(1866年)、6月の幕長戦争(第二次長州征伐)において石州口方面の指揮を担当。幕府側を悉く撃破し浜田まで進撃。浜田城を陥落させる。藩論において討幕運動が高まり東上策が唱えられると、自重論を説く。

明治元年(1868年)2月には京都に赴き、王政復古により成立した明治新政府の軍防事務局判事加勢として朝臣となる。4月には大坂から江戸に進駐し江戸府判事を兼任。上野において彰義隊を破る(上野戦争)、5月には鎮台府の民政会計を任される。戊辰戦争では兵站参謀として、東北諸藩の奥羽列藩同盟軍や抵抗した旧幕臣らに対し江戸で軍略を練る。明治2年(1869年)2月に函館・五稜郭を制圧し戊辰戦争が終結。

大村は周防生まれなのに、宇和島藩に出仕したり、長州に戻ったり、幕臣になったり朝臣になったりと忙しい。竜馬も土佐郷士→浪人→海援隊と所属を変えたがる男だが、大村の方が根を張るというかしっかりしている。立場があやふやという事が無い。
そして戊辰戦争。大村の軍事的才能が如何無く発揮される。上野戦争の跡は実際に上野公園を歩いてみるとその様が手にとるようにわかる。興味がある人は是非歩いてもらいたい。西郷さんの像辺りなんかはもう激戦の跡地だ。

posted by 入船亭扇里 at 01:48| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記
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