2006年04月19日

お不動様にはなんとやら

落語協会は夏の寄り合いに成田山へ行きます(行かなかった時もあったけど)が江戸っ子の中でも神田明神の氏子は成田山へ行かなかったそうで。それなら「寝床」の頭はどうするんだという事なんでしょうけど、どこか違う場所なんでしょう。(いい加減)

では何故成田山に行かなかったのかというと、神田明神の主祭神というのは平将門なんですね。関東というか武士の守り神です。ただし朝廷に対する反逆者なので逆説〜によれば東京遷都の折には他の神社に出掛けて行き、帰ってきたのはつい最近の事だそうです。
で成田山新勝寺ですが、平将門の乱の時に朱雀天皇の勅を受けた寛朝僧正という人が祈祷を行った事を開山の経緯としている為、平将門、その家来の子孫、と神田明神の氏子は成田山にお参りには行かないのです。

将門も清盛も同じ桓武平氏ですが、将門の家来の子孫達が敵である源頼朝に従ったのはある意味皮肉ですね。将門と頼朝は目指すところが同じだったと。

私も一応は関東人なので神田明神と鶴岡八幡宮には時々参詣しますか。
posted by 入船亭扇里 at 00:48| 東京 ??| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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