「誰か故郷を想はざる」寺山修二/角川文庫
昨日遊一さんと七時に目白駅前に待ち合わせをしたのですが、ちょいと早く着いてしまい古本屋で購入。時間を潰すのに読んでいた。
「故郷」という言葉には、「生まれ育ったところ」という意味が当然ある。それでも「故郷」というからにはとても遠いところでなければいけないように思う。
私が生まれたのは神奈川県の藤沢市。育ったのは横浜市。「故郷」というには近過ぎて「故郷」という言葉に失礼な気がしてならない。
やはり「故郷」だとか「ふるさと」というからには決して日帰りで往復できるようなそんなところではいけないのだと思う。そういう訳で私には物質的な「故郷」は無い。
物質的なというからには当然精神的な「故郷」もあるのだと思う。私が考えるのは「母親」であり「父親」であり「兄弟」であり「思い出」である。全ての少年が母親からの脱却を計り父親を越える事を目標にして兄弟を好敵手だと思い思い出を糧に大人になってきた。相応に責任が生じる立場になった時それは全て過去のものになってしまう。精神的というよりは時間的なのかもしれない。
過去があるからには未来がある。未来に向かって目標を立てよう。それもとてつもなく大きな目標を。
「馬主になって競走馬を生産・所有し、英国エプソムのダービーを勝つ」
大きいでしょ。
2006年04月29日
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