2007年01月04日

今年の初高座は5日研精会です

暮れからお正月に掛けては毎度高座少ないですね。某兄弟子が、
「正月ほとんど高座に上がらず呑んでばかりいるから口調が戻らない」
と以前嘆いたいたのを思い出します。

今日本屋へ寄ったら武田信玄と山本勘助の本だらけでした。大河ドラマの力は凄いです。
その前に山本勘助が実在したのかはかなり疑問ですが。
イザワ先生も書いていましたけれども、武田家中で山本勘助の地位はそれほど高くなかった(あ、実在すればの話ね)というのは間違いない。武田信玄の人材登用はかなり保守的で、エライ武将の出身地は殆ど甲斐。これが敵に仕えていた秀吉とか光秀とか出自がアヤシイ滝川一益等を抜擢してきた信長との決定的な違いだと。
変化を求められていた時代の要求に答えられなければ天下は獲れない。その前に天下を獲る意思があったかが問題ですが。

それではお江戸日本橋亭でお会いしましょう。
posted by 入船亭扇里 at 23:57| 東京 ????| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
武田信玄ですか…確かに天下獲る意志があったかどうか。晩年あたり、信長を平らげたなら、上洛するくらいの意志はあったかなぁと思ってます。

上洛し、足利将軍の後ろ盾となる…くらいが、信玄の天下獲りであって、信長らの天下獲りとは考えている意味合いが違うように思うんですが。
Posted by ケン坊 at 2007年01月05日 14:08
イザワ先生の説でも信長には天下獲りの明確なヴィジョンがあったと、でも信玄は「信長にできるのならやってやろう」ぐらいのつもりだったみたいですね。どっちにしろ信長の器はかなり大きかったと思います。
後信玄は寺社とか貴族とか足利とかもそうですが、保守勢力との結びつきが強いですね。
Posted by 扇里 at 2007年01月06日 01:23
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