一日寝てしまった。私の身体は眠かったのかもしれない。
前に考察するといって全くしていなかった天武天皇について。
ここのところ蘇我ブームだったからなぁ。
天武天皇と天智天皇が同父母の兄弟ではなかったという説は意外と有力です。
何故この説が語られるようになったのかというと年齢矛盾です。
「日本書紀」によると天智天皇の生年は626年で天武天皇は不明。公の史書にしかも日本書紀の後半は天武一代記といってもよい内容なのに生年が書いていない、これは怪しいと。「一代要記」「本朝皇胤紹運録」で没年齢から逆算すると天武の生年は622となり兄弟の順が逆転すると言われた。しかし天智の生年が「一代要記」では619年「本朝皇胤紹運録」では614年で実は逆転していない。ただ天武の出自が怪しいのは間違いない。皇太弟として大海人皇子が「日本書紀」に初登場するのは43歳の時、これは遅すぎる。中大兄皇子の同父母弟なら然るべき地位にありそうなものだが乙巳の変の頃もその後もなかなか登場しない。
また天智天皇の娘を4人も娶っており、いくら近親婚が多かった時代とはいえこれはおかしいと。
では同父母弟ではなかったら誰なのか。
容疑者その一は漢皇子。蘇我系皇族で用明天皇の孫とされる高向王と斉明女帝との間の子で、斉明女帝はこの漢皇子を産んだ後に高向王と離別し舒明天皇に嫁ぎ天智天皇を産んでいます。この漢皇子、そして高向王というのは皇族なのに史書にほとんどといって出てこない謎の人物です。この説が確かなら天武は兄という事になる。
容疑者その二は古人大兄皇子。父は舒明天皇で母は蘇我馬子の娘という天智の異母兄。蘇我氏の世なら間違いなく登極した人物だ。乙巳の変の後吉野に隠棲していたが天智の手によって殺害されたという。もし殺害されていなかったら・・・場所も吉野だし怪しい。
この二人がとにかく怪しいのだけれども、中には兄弟ですらないというのもある。高句麗の高官蓋蘇文だとか、新羅の王族金多遂というもう外国人であったりする。
中には漢皇子=古人大兄皇子という説もあり実はこれが妥当じゃないかと思っていたりもします。
2007年02月14日
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ただ、新羅の皇室の人間の可能性も捨て切れないかなとも思います。これは、これまで王朝が断絶したかどうかの問題も絡みますから、自分でも考えがまとまりません。
まぁ頭の9割が漢皇子と言ってますので、こちらに一票入れときます。
強引になりますがw
そこまで歴史書き換えた藤原氏って!戒厳令ですな。