古代のインドでは六道を人間(に限らないが)は行ったり来たりすると考えた。
六道とは天道(天上界)・人道(人間界)・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の事。この六つを生まれ変わり続ける。魂は永遠に不滅であると考えた。そしてこの六つの世界にはそれぞれ苦しみがある。後ろの四つはいかにもだが、例えば天上界にいる女神でもいずれは老いてくる(by三島由紀夫)、人間界は当然「生・老・病・死」をはじめとした苦しみがある。
この苦しみだらけの輪廻転生の輪から抜け出す事を解脱という。
釈迦はこの解脱の手段に初めは苦行を選び、そして「諸行無常」を認識する事だとした。「諸行無常」とはこの世の中のものはいずれ滅びる、無に帰るという事。
つまりこれを認識する事が悟りである。
無常を悟り、全ての煩悩を断ち切った優れた人間を「如来」または「仏陀」という。この優れた人間こそが輪廻転生から解脱できると釈迦は考えた。
この事を人に伝える事は不可能だろうと思った釈迦は、無常を悟ってすぐに涅槃(死ぬ事)に入ろうとしたが、ヒンズー教の神であるブラフマン(梵天王)に懇願されこの世にとどまり教えを広める。
ここまでで思うのは、無常を悟る為にはやはり出家しなければいけないのだろう。俗世間には煩悩が溢れている。つまり古代の仏教は自分の事しか考えていないのだ。自分が解脱するために家庭を社会を捨てて出家する。
そして疑問に思うのは、「解脱したい」という意思は煩悩ではないのか?無常を悟るとはそれすらも超越したことなのだろうか。
今度は大乗仏教について考察予告。まとまるまでしばし待て。

