2008年01月18日

執権北条A

昨日は歌武蔵師匠宅で新年会。
ちゃんと金也兄さんを連れて帰りました。


北条義時(Wikipedea)

時政が理想家なら義時は現実をよく見ている人だと思う。
父時政を牧の方事件の時に排除すると二代執権となる。和田義盛を始め有力な御家人を次々と滅ぼし、政所、侍所の別当を兼ねる。北条氏の鎌倉支配は確立したと言って良い。義時の代に実朝は暗殺され源氏の嫡流は絶える事になる。これでも幕府が機能したのは北条氏の力が絶大だったからだろう。元々が源氏のための幕府ではなく関東武士のための幕府であったということもあるが。
義時の別称を得宗と言い、以後北条氏の嫡流の別称となる。

北条泰時(Wikipedia)

義時の嫡男泰時は承久の乱の時、鎌倉方の総大将となった。幕府に不満を持つ後鳥羽上皇は西国の武士を集めて幕府に対抗した。西国はまだ鎌倉に従っていなかったのである。戦前は泰時は朝敵とされあまり評価されなかったらしい。
泰時は朝廷軍を破り京に入る。朝廷の監視役とも言える六波羅探題の北方となる。ここに朝廷の権威は失墜する。この時以上に朝廷に力が無かった時は無い。
義時の死後三代執権となるが、伯母政子や親北条の大物大江広元が相次いで死去し幕府に不穏な空気が流れるが叔父時房を執権を補佐する連署に任じ地位を確立する。
評定衆を設置し武家の成文法としては初めての御成敗式目を制定する。
正直時政、義時、泰時と有能な人が三代続いたがこれによって有能な執権でなくとも北条氏の権力は維持できるようになった。将軍もお飾りだが執権もお飾りでいいということ。
posted by 入船亭扇里 at 00:42| 東京 ????| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
ふんふんふん
ネットで別の歴史もんの源氏の流れを解説してるのも
読みつつの。
三代で基盤しっかりできて、権力は維持できたのに
なんだって出家したひと(頼家だっけ?)まで
討っちゃうんですか?源氏はもうふにゃふにゃだったんでしょう〜?
Posted by りん at 2008年01月18日 10:35
頼家出家時には北条氏の権力はまだ確立できていなかったと思われます。特に頼家の乳母の家系比企氏の力もまだ残っていたかと。源氏という血筋に頼るというか武家政権のモデルケースは誰も知らない状況ですからね。
それに絶対的な権力を築くというのは決して悪い事ではありません。反乱などを未然に防げますから。言わば北条氏は承久の乱で平和の創造者となったのです。
Posted by 扇里 at 2008年01月18日 13:43
絶対的権力も平和の創造者と平気で言える扇里さんには参りました。普通言えないよ。

このあたりの感覚がないから、くされ平和主義者のダブルスタンダードが生まれるんだろうなと。

つうか、このあたり疎いからドンドンマニアックにお願いしますw
Posted by ケン坊 at 2008年01月19日 00:17
「温暖化!温暖化!」言っている人が「ガソリン税下げろ!」と言っていると気持ち悪いですわ。

宗教が絡まない日本史は強いリーダーが居ない時に戦乱が起きるってのは常識にすべきじゃないかと。
Posted by 扇里 at 2008年01月19日 11:56
>宗教が絡まない日本史は強いリーダーが居ない時に戦乱が起きるってのは常識にすべきじゃないかと。

なるへそね!
私は何か勝手に世の中の戦争(反乱等含)は
宗教観の相違によるものだと、
それをラインにしてました。
日本史って、やっぱり勉強になりますねええ。
お次もたのしみにしております♪
Posted by りん at 2008年01月20日 00:44
世界史を見ても宗教の絡まない戦争って多いですよ。
十字軍だのを除けば現代くらいじゃないですかね。宗教絡みの戦争が多いのは。
軍事バランスが崩れればいつだって起き得るのでしょう。
Posted by 扇里 at 2008年01月21日 22:55
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