2008年01月20日

執権北条B

今日は相棒宅で新年会。
2周連続でお邪魔する。相棒の娘を今の内から手なずけよう。


北条経時(Wikipedia)

このへんまでくるとわからなくなってくるな。
泰時を継いだのは孫の経時だった。
実朝死後、征夷大将軍として北条氏は皇族を鎌倉に迎えようとしたが後鳥羽天皇の反対によって失敗。言わば鎌倉に人質を送るようなものだから仕方ない。そこで頼朝の妹の曾孫にあたる九条頼経が将軍として迎えられる。その時2歳。傀儡の将軍だった。
ところがこれが成人し官位も上がってくると北条氏に敵対する勢力が近づいてきたり、実権を握ろうとし始める。子供のうちは言う事を聞いたが大人になって自分の地位を利用したくなる。これは仕方ない。
経時は頼経を強引に解任。頼経の子頼嗣を次の将軍に迎える。ところが頼経は将軍を解任されたにも関わらず鎌倉に留まり続けた。頼経は武士ではないとはいえ、将軍の父。この立場は北条氏にとってはマズイ。経時は頼経の追放を画策するも失敗。その心労からか死んでしまう。

北条時頼(Wikipedia)

鉢の木伝説で有名な時頼は経時の弟。
兄の死後、執権職を継いでまもなく頼経を始めとした反北条勢力が勢いづき、頼経の側近で北条一族の名越光時が反乱。時頼はこれを鎮圧すると頼経も京へ追放してしまう。その後も有力御家人の三浦泰村一族を滅ぼし北条氏の独裁体制を磐石なものとした。さらに5代将軍頼嗣も京へ追放し後嵯峨天皇の皇子宗尊親王を将軍に迎えた。北条氏の念願はここに叶う。
鉢の木伝説もそうだが善政を敷いた名君の誉れ高い人。実際には諸国を巡るような事はしていないようだ。
posted by 入船亭扇里 at 00:13| 東京 ????| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
このあたりの話しで殴り合いしたいのに、いざ会うとくだらない話してますなぁ。扇里さんのおかげで苦手な鎌倉室町に触手が伸びそうです。

ては次を期待w
Posted by ケン坊 at 2008年01月22日 00:56
そうですね。今度は真面目に話をしましょう。
私にとっては南北朝あたりが一番面白いですね。

今日も稽古したいんで休ませてください。
Posted by 扇里 at 2008年01月22日 23:40
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