2008年01月31日

執権北条F

出演情報と共にリンクを増やしました。
予備校関係の方で「俺もリンクしろぉ!」という方はご一報を。


所謂弘安の役。
南宋を滅ぼした元軍。元々日本を降伏させようという計画は、日本方面から南宋を挟撃しようという作戦と、敵対していた南宋と日本が民間レベルで交易をしていた事があるようだ。(国交は無い)

日本に送った使者を斬られた事に腹を立てたフビライは再侵攻を計画する。
上手い事誤魔化せば攻め込まれなかったんだな。
朝鮮半島から元・高麗軍が4万。江南から旧南宋軍が10万。合わせて14万。日本の武士団は4万。
しかし日本も博多に防塁を築くなどの対策を立てていた。
そして前にも書いたがモンゴル軍には馬がいない。スピードなら日本の武士の方が有利といえる。
朝鮮からの軍が防塁の無い志賀島に上陸したが日本軍の斬り込みを受ける。ゲリラ戦なら日本有利。しかも防戦なので補給はどこでもできる。元軍を海上に撤退させる。
江南軍とは平戸鷹島で合流。ところがここで暴風雨がおこる。まさに神風。身動きの取れなくなった元軍に武士達は襲い掛かりこれを殲滅。二度に渡って世界最強のモンゴル軍を撃退した。もっともモンゴル人は少なく馬もいないのだけれども。元軍はこれで海軍の3分の2を失ったという。

竹崎季長(Wikipedia)

ここで紹介したいのが竹崎季長。今回日本軍は防戦一方だったので獲得した領土は無い。したがって恩賞を与える事もできなかった。文永の役で奮闘した季長はこれに不満を抱き馬を売ったりして旅費を整え幕府へ直訴。恩賞奉行の安達泰盛に面会し見事恩賞を獲得した。この泰盛への恩義として書かせたのが「蒙古襲来絵巻」だ。

さらに朝廷も恩賞を欲しがった。「俺達が平和を祈願したのだから恩賞を寄越せ」と。時宗は御家人と朝廷の板ばさみになり34歳で死去。
得宗と執権職は子の貞時が継ぐ。
posted by 入船亭扇里 at 22:49| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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