2005年10月19日

瀬を早み

「貞操花鳥羽恋塚(みさおのはな とばのこいづか)」国立劇場

芝居見物。
・・・だいぶ寝てしまいました。でもちゃんと宙乗りは見たよ。

やはり「義経」の影響か、この時代のものが今年は至る所で多いです。
落語にも登場する袈裟御前、崇徳院をはじめ、源三位頼政、以仁王、平宗盛等が登場。

この時代は公家から武士への政権交代の時期なのでまさに激動。それはそれはドラマが数々生まれた。

中でもやはり崇徳院は凄まじい。
一応系図の上では鳥羽天皇の子となっているが、本当は祖父白河天皇の子であったという説が有力。そのせいか父の鳥羽からは疎まれていた。
その後保元の乱で敗北、讃岐へ流される。ここからが凄い。
以下をWikipediaから引用してみよう。

讃岐での軟禁生活では常におとなしくすごし、仏教に深く傾倒した。経典の写本作りに専念し、完成した五つの写本を京の寺に収めてほしいと朝廷に差し出したところ、ときの治天の君、後白河法皇の影響下にある朝廷はこれを拒否し、写本を送り返してきた。これに激しく怒った崇徳は、自分の舌を噛み切って、その血でせっかくの写本に呪いの文章を書き、さらに「この経典の力を持って天皇家を永遠に呪い、民を皇に、皇を民にする」と言い、自らを「日本国の大魔王」と称して爪や髪を伸ばし続け、夜叉のような姿になり、1164年に讃岐で死んだ。

この時から崇徳院は日本の魔王として暗躍する。その影響は幕末まで続いた。おわかりだろうか?武士による政治がこの時から幕末まで続いていたのだ。明治天皇も使いを送っているくらいだ。

こんな歴史こそ学校で教わりたかった。
以上全体は井沢元彦から引用。

posted by 入船亭扇里 at 00:39| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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