2008年02月11日

執権北条I

共同通信杯。我ながらエライ。


北条高時(Wikipedia)

貞時の嫡子高時が満を持して執権就任。それでも14歳だったのね。
後ろ盾は長崎親子。
高時は相当期待されていたと思う。何より得宗であるし若い頃は夢想疎石などと親交はあったし、後に悪評になる闘犬や田楽に興じたというのは文化人ということの裏返しだと思う。政治は長崎親子が上手くやっていれば意外と名君と呼ばれたのではないか。
現状は厳しかった。元寇から始まる武士の貧窮等が要員で各地で反乱が相次ぐ。中でも後醍醐天皇が倒幕運動を始めるとは思わなかっただろう。後醍醐天皇を隠岐へ流すと高時は病を理由に出家。執権職を金沢貞顕が継ぐが一月で赤橋守時が就任する。裏には長崎氏と安達氏の権力争いがあった。
執権職もたらい回しになっていた。これで政治が上手くいくはずがない。
後醍醐天皇が隠岐を脱出して再び倒幕運動を起こすと。楠正成、新田義貞が呼応。さらに有力御家人で赤橋守時の妹を娶った足利尊氏が六波羅探題を攻撃。北条氏は詰んだ。
上野国を出発した新田軍勢はあっという間に膨れ上がり鎌倉に到達した時は数万になったという。それだけ幕府に不満を持った武士が多かったのだろう。
執権守時は戦死、高時、基時、貞顕、長崎親子は自刃し鎌倉幕府は滅亡する。
因みに高時等が自刃した北条氏の菩提寺東勝寺の跡には「北条高時の腹きりやぐら」というのがある。私はここを訪れる度に何かに胸を打たれる。鎌倉宮の護良親王の土牢に行くと何故か涙が出る。私は誰の生まれ変わりなんだろう。このシリーズは一度まとめてみます。
posted by 入船亭扇里 at 19:40| 東京 ????| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
前にも話しをしたかもしれませんが、小さい頃から何回も焼けた城壁沿いに甲冑を付けた僕が走る夢をみます。櫓の上から射たれた矢を左手で掴んだりします。周りを囲まれ行き場がなく座り込んでる場面でいつも目が醒めます。

親父方は農民、お袋方は美作の武士。どっちにしても前世は無名だろうな。
Posted by ケン坊 at 2008年02月11日 20:56
ケン坊さんの前世はきっと尼子十勇士ですよ。うん。
私は父方伊達の家来(仙台系)、母方伊達の家来(宇和島系)で鎌倉とは何の関係もないのですがね。
Posted by 扇里 at 2008年02月11日 21:10
楽しく読ませていただいてました。
鎌倉って町並みがいいですよねぇ。
将来ああいうとこに住みたいです。
Posted by もんた at 2008年02月12日 19:28
私は将来鎌倉に隠居するという夢があります。
まぁほぼ地元なんでしょっちゅう遊びに行ってますが。
Posted by 扇里 at 2008年02月12日 23:40
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