昼間上高田東の高齢者会館へ。
寒い中大勢お集まりいただきました。
一、垂乳女
一、ねずみ 扇里
いまおか監督の映画「たそがれ」のフライヤーをビトさんに渡されていたので撒いてもらう。さすがに18歳未満の方は居ないようで。
北条氏をまとめると。
頼朝の挙兵に呼応したのは関東武士団の悲願である中央からの独立を求めて。何度も書いているようですが、藤原摂関体制、院政ではもう世の中が機能しなくなっていたので新しい秩序が求められていた。特に地方に点在する武士は政治参加を求めていた。平将門が反乱を起したのはそのため。関東の武士は挙って将門を支持した。
将門と同じ平氏の清盛が太政大臣になり武士の権益が認められるかと思ったら清盛のした事は藤原氏と同じ事だった。これでは他の武士が浮かばれない。そして全国の源氏が立ち上がる。頼朝も北条氏や関東の将門の遺臣ともいえる武士達に支えられて義仲をそして平氏を滅ぼし、征夷大将軍に任命され関東の独立を果たす。武士達にとって頼朝は飾りに過ぎない。全ては関東の独立にあった。
北条氏は頼朝の後ろ盾として暗躍していたが対立する武士(比企氏や三浦氏など)を滅ぼし幕政を握る。将軍はもともと飾り物なので誰でもよい。藤原氏や皇族を将軍に迎えたりしていた。人質にもなる。
承久の乱で勝利した北条氏は西国も手に入れる。北条氏が全国の政治を握るようになる。
ところがモンゴルが攻め込んできた。元・高麗の連合軍を武士達はよく撃退したけれどもここで問題が起こる。武士に給料は無い。迎撃の為の軍費も自前で出さなくてはいけない。ましてや迎撃しても領土が増えたわけではないから恩賞も無い。武士の生活は困窮を極めた。
北条氏も貞時死後に異変が起こる。源氏の執事だった北条氏に長崎氏という執事ができてしまった。今度は北条氏が飾り物になった。
さらに皇室に跡目争いが起こり(詳しくは去年の一月頃のエントリで)幕府が介入。それに不満を持った後醍醐天皇が討幕運動を起こす。タイミングが悪かった。幕府は既に武士の支持を失っている。一度火が点いたらあっという間だった。北条氏は滅ぼされ武士達は後醍醐天皇を支持し後に足利尊氏を支持し始める。
その続きは1年前に詳しく書きました。
2008年02月14日
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