2008年04月23日

トンデモ説ブログにもなりつつ

ことのついでに邪馬台国を。
研究している人がたくさんいるのでそれほど妄想も膨らみませんが。

邪馬台国=ヤマトであったのはほぼ間違いないだろう。(読み方として)
何処に比定するのか?卑弥呼は誰なのか?が問題になる。
これは「魏志倭人伝」の記述がいいかげん過ぎて変な論争が始まった。そこでできる限り妄想する。

当時の日本列島は既に統一されていた。
小さな国が連合していたと思う。前にも書いたが祭祀を含めた所謂議長役としての代表みたいなものがあったと思う。そして連合国はヤマトという国だったと思う。
以前はこの議長が邪馬台国の卑弥呼だったと思っていたしどこかで書いたと思う。ちょっと妄想も変わってきた。
ヤマトの覇権争いが続く。連合国といっても中は戦国時代のようだった。「魏志倭人伝」の時代、力があったのは吉備、畿内あたりか。北九州はちょっと劣勢を強いられていた。そこで北九州の女王卑弥呼は一計を案じる。魏に朝貢してヤマトの王に認めてもらい、魏の力を背景に日本の勢力と戦おうと。作戦は成功、「親魏倭王」として認められる。ところがこれに各地が反発。中でも出雲が怒った。越(北陸)を版図に加えていた(というか拠点はこっちかもしれない)出雲は北九州を攻撃。卑弥呼軍を破る。折しも日食まで起こった。卑弥呼は太陽に仕える巫女でこの神通力が役に立たないと知った北九州の有力者は卑弥呼を暗殺。かくして北九州は出雲に降伏する。この出雲の王が神功皇后であり台与であったと思われる。
拠って私の比定地は北九州。卑弥呼の一族は九州の南に移ったのかな。台与は北九州に留まったと思う。
南九州には「日向(ヒムカ)国」はあるし北九州には「豊(トヨ)国」があるしね。
posted by 入船亭扇里 at 00:53| 東京 ????| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
すごいなあ〜
でも私も同感です。九州の立地からいっても納得。
単純に金印あるし〜
Posted by りん at 2008年04月23日 10:41
北九州に独立していたとなるとそれほどの勢力とは思えないんですよね。関裕二先生は熊襲の女酋長説でしたが。
金印は「漢奴倭国王」で奴国のものですが多分同じ考えだったと思います。
Posted by 扇里 at 2008年04月23日 23:35
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/94324659

この記事へのトラックバック