2007年03月14日

妄想小僧 パックランドは難しい

桜木町にある洋食屋にランチを食べに行きました。その為だけに横浜まで行けるところが噺家っていいなぁ、と思います。早起きはしたけどね。しかしランチメニューなるものは存在せず、仕方なく普通のセットメニューを。追加したカニクリームコロッケが美味しかった。


蘇我、物部、尾張といった豪族達による政治は出雲系応神朝から継体朝へと議長を変えるもそれほど変化は無い。昨日書いたように主に祭祀が議長の仕事なので問題は無い。
ここでヤマト政府の有力者蘇我馬子は律令制の導入に手を付ける。律令制は中国の唐で既に採用されていた制度で、公地公民を元にした中央集権、科挙で選抜した官僚による政治の事。科挙は豪族の集合体であるという事情から導入は見送られた。(いずれはやるつもりだったかもしれないが)公地公民にも問題がある。豪族達に「土地を国に差し出せ」というのだからこれは死活問題になりかねない。そこで反対派の代表物部守屋と争いが起こる。仏教の導入の為の争いと日本書紀にはあるが、これは本当は律令の導入の為の争いなのだ。
そして守屋は敗れる。後の資料で守屋は物部氏でも傍流であったらしい。この争いの後も物部氏は生き残っている。
この後に「十七条の憲法」「冠位十二階」が設置される。聖徳太子(厩戸皇子)の業績とされているが、これも本当は馬子の業績であったと思う。日本書紀に強い影響を持った藤原不比等は徹底的に蘇我氏を排除していった。

何故そこまで蘇我氏を排除したかったのかは次回以降。
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2007年03月13日

妄想小僧の「巻物はおまえをすくうろうる」

少年時代に「源平討魔伝」が得意で、大人になってからこっそり置いてある同機をワンコインでクリアしてその辺のちびっこに尊敬された私です。
合言葉は「まじんはひまじん」

関裕二氏の影響か神功皇后=台与説を支持します。台与は卑弥呼の死後邪馬台国の女王になった事になっていますが、これを王朝の交替と見ます。卑弥呼の天孫一族から神功皇后の出雲が戦いに勝ち(これには日食という偶然もあった)議長に収まったと考えます。
神功皇后も神憑りをしたり巫女的要素が強いです。そして蘇我・物部・尾張といった豪族達がこれを補佐した。実権は豪族達にあったでしょう。ここで言う議長とは祭祀を主な仕事とする神に仕える一族で、後にこれが神の子孫と考えられるようになったのだと思います。

日本書紀の記述をどこまで信用するかはともかくとして、書記の編纂者は魏志倭人伝を読んでいる筈で、その記述と伝承を比定した。神功皇后を誰にするかは、卑弥呼と台与のどちらかしかいない。王朝が替わった事実はあるけれど万世一系にしたい。とすると神功皇后という人物は有効に利用できるのです。

ちなみに卑弥呼の天孫一族ですが私の考えではその出身は朝鮮半島の伽羅(任那日本府)です。大和が連合国として成立した時に日本の版図にここは組み込まれ、以後この地に日本が固執したのもわかります。またここは鉄の産地でもあります。

この後は蘇我とか聖徳太子とか藤原とか攻めてみたいです。
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2007年03月11日

昨日は寝ちゃいました。

今日は一日付き人。朝師匠宅で玉子かけご飯を食べる。日本人の私服ですな。

新宿から新百合ヶ丘。思ったよりずっと近い。

あさたま寄席

一、金明竹       市朗
一、だくだく      王楽
一、片棒        扇遊
一、あやつり      ニューマリオネット
一、文七元結      扇橋

暇なんで鳴り物を手伝ってました。太鼓は楽しいです。

その後協会事務所に寄って、浅草。
あし歌兄さん太ったね。
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2007年03月09日

妄想小僧の邪馬台国

勝手に邪馬台国と大和政権を結びつけていたのに解説していませんでした。

邪馬台国の女王卑弥呼、これは称号でしょう。本名とは違うはず。朝鮮の「三国史記」新羅本義にも173年に卑弥呼が使いを送ってきたという記載があるので、これは間違いない。(捏造の疑いもあるが)

邪馬台は大和、これも問題無いでしょう。古代中国語で「邪馬台」は「ヤマド」と発音されるので。
問題は卑弥呼の正体です。本居宣長による「熊襲の女酋長説」では熊襲が勝手に倭王を名乗り、「大和」として魏と通交したとしていますが、私の妄想は卑弥呼=日巫女で天照大神と関連を考えます。

松本清張氏の説では卑弥呼は暗殺されたそうです。「魏志倭人伝」には247年邪馬台国は狗奴国と戦をして大敗します。そしてその直後卑弥呼は死亡しています。あまりの突然の死から暗殺説が生まれた訳ですが、私もこれを支持します。
古天文学の斉藤国治氏によると247年3月24日に北九州で皆既日食があったらしい。太陽に仕える女王の軍団が皆既日食のあった年に戦で負ける、これは偶然だろうか。恐らく邪馬台国軍は太陽に見放されてしまったとして離散してしまったのではないか。

似たような神話がある。「天の岩戸」と言われるもの。
太陽神天照大神が岩戸に隠れ、世界が真っ暗になってしまった。
困った神々は岩戸の前でどんちゃん騒ぎをし、騒ぎに気になった天照大神が岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているというのに、なぜアメノウズメは楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うとアメノウズメが「貴方様より貴い神が表れたので、それを喜んでいるのです」。この時岩戸の中の天照大神に鏡を向ける。鏡に写った自分の姿を貴い神だと思った天照大神はもっと見ようと扉をさらに開けると、側に隠れていたタヂカラオがその手を持って岩戸の外へ引きずり出した。

「魏志倭人伝」では卑弥呼の死後男の王が立ったが上手くいかず、卑弥呼の親族にあたる台与が王となり国は治まったとある。
太陽に仕える巫女の交代、そして日食。偶然だろうか。
この後は台与=神功皇后説を。いつになるやら。
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2007年03月08日

中世東西を一つにした人

映画「蒼き狼 地果て海尽きるまで」を観てきました。「蒼き狼と白き雌鹿〜」ファンの私は観ない訳にはいかない。
内容はだいたい予想通り(笑)ただ私の知っている話とはだいぶ違っていた。

この時代のモンゴル他の歴史については「蒼き狼と白き雌鹿W チンギス・ハーン」攻略サイト激動ユーラシアに詳しい。ゲームの攻略だけでなく中世の世界史に恐ろしく詳しいサイトです。後「アタック25」についても・・・

チンギス・ハーンの配下というとムカリ、ボオルチュ等「四駿四狗」と呼ばれる将軍達や耶律楚材といった政治家が有名だが、やはり草原の遊牧民だけに一族達の力を忘れてはいけない。

カサル、テムゲといった兄弟やジュチ、チャガタイ、オゴタイといった息子達まで大活躍過ぎる。
何故草原のモンゴルがこんなにまで強かったのだろうか。恐らく何百年という間戦乱が続き兵士の質が高いという事と、一兵卒まで馬に乗っているという騎馬軍団であったということだろう。満州にあった「金」は遊牧民達の団結を恐れ常に争わせていたという。後に「清」を建国する女真族も遊牧民だが、やはり「明」は部族の団結を恐れた。
塞外民が団結すると中原はおろかその周辺まで危機に晒される。

後にモンゴルから生まれた「元」は中華思想に浸かり逞しい遊牧民の力を失っていく。中華思想は毒でしかないのですな。
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2007年03月07日

妄想小僧 王朝交替

三王朝交替説というのがある。


王朝交替説 Wikipedia

水野祐氏が唱えた説で、皇統は万世一系でなく古代において複数の王朝があったとする説。
私の妄想もこれに賛成している。

水野氏は崇神朝、応神朝、継体朝の交替があったとしているが、私の妄想だと邪馬台国、応神朝、継体朝であったとする。
要は議長の交替であったという事で、邪馬台国→応神朝は前の投稿で説明できるだろう。応神朝は出雲の豪族達によって担がれた。
何故私が古代日本を豪族の連合国と妄想したかというと、それは多神教という文化からです。一神教と違って多神教なら野党が許されるのではないかと思うのです。そしてその文化の要である祭祀を議長が執り行う。「政」と書いて「まつりごと」と読むくらいですから、議長的立場にないとこれはできないと思われる。

応神朝と継体朝の転換は間違いなくあっただろう。
その証拠は「日本書紀」にある。継体天皇の先代武烈天皇の記述があまりにも悪いのだ。妊婦の腹を裂いて胎児を見たとか、人の生爪を剥いで芋を掘らせたとか(書いていて気分悪くなった)酷いにもほどがある。
一応書記の記述では継体天皇は応神5世の子孫で武烈天皇が後嗣を決めぬまま崩御した為、任地である越前から呼ばれ武烈の娘と婚姻し即位したとあるが、即位が決まっていながらもなかなか大和に入らなかった等と戦乱があった事を匂わせる。
先の王を悪く書くのは中国の歴史書によくある手で、新しい王朝の正統性を持たせる為にわざと悪人にしてしまう。私も殷の紂王がそれほど悪い人だとは思わない。負けた事で悪人にされてしまったのだろう。
継体天皇が応神天皇の子孫であったというのは正しいかもしれない。出雲からの豪族、蘇我、物部、尾張はこれに従っているからだ。
以後この王朝は現在まで続く。
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2007年03月06日

そんな訳で稽古します

美浦所属の田中博康騎手は柳亭燕路師匠の知人の息子さんだそうで、その話を聞いてから彼の騎乗に注目しています。
昨年デビューなのであまり人気にはなりませんが、時々穴を開けて私の馬券を紙屑に変え、それじゃあと思い応援も含めて複勝馬券を買うと馬群に沈みやはり私の馬券を紙屑に変えます。それが気ィ悪いとかそういう事ではなくてこの際若手騎手について考えてみようという訳です。

田中博康騎手の昨年の成績は223戦4勝と奮わない。では彼に才能が無いかというとそういう事ではない。強い馬に乗せてもらえない、ただそれだけなのだ。何事も経験で噺家だって高座に上がるのが一番勉強になる。普段掛けられない噺を数こなせるこんな有難い事はない。それを受け入れてくれるお客様が居る、これが素晴らしい循環になる。
田中博騎手は騎乗回数は結構恵まれている。それは減量だとか厩舎に所属しているとかの理由もあるだろうけれども、美浦の同期では的場勇人騎手の278戦に次いで2番目に多い。的場騎手は色々とトレセンに関わりがあるからこれは堂々たる数字だ。ただ強い馬には乗せてもらえないのである。二ツ目が長い根多を掛けられないのと同じ現象だ。
強い馬に乗らないと腕は上がらないのである。何故強い馬に乗れないのかというと、武豊騎手も田中博騎手も同じ賞金だから、この事に尽きる。どの騎手が乗っても進上金は5%と決まっている。これでは若手は育たない。
キャリアによって進上金を変えてみたらどうだろうと思う。ベテランの騎手は騎乗回数が減るかもしれないが、進上金を上げれば収入は問題無いだろう。その減ったヤネを若手に与えれば良い。そうすれば若い騎手がGTレースに騎乗する機会も増えるだろう。私と扇橋のギャラが天と地程離れているのと同じ。(私は安いから高座をくれと大きな声で言いたい)
去年はドリームパスポートの高田潤騎手が乗り替わりの憂き目にあった。貴重な経験を潰されてしまった。
GTに出る騎手がいつまでも同じままでは将来どうするんだろうと思いますぜ。

今年の田中博康騎手は108戦6勝。頑張っているじゃあないか。
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2007年03月05日

この後休みが続くのですが

今週は土日で競馬ができる。(いや、だから仕事ならもっと良い)
気分を変える為に後楽園でなく渋谷へ。

到着、ブログ投稿が終わらず隅で書く、着いた時の中山6Rは新馬戦でよくわからないから良い。

中山7R。資金を増やす為に節目割りワンダーフルーツの複をごっそり買う。320円。小野先生偉い。
中山9R房総特別。人気度チェックで全馬に印が付いている混戦模様。知っているぞこういう時はA組唯一のプラス型ナチュラルメイクからワイド総流しだ。ナチュラルメイクが降着も3着でワイド3560円。これで今日の勝ちは決まった。
中山10Rブラッドストーンステークス。前走1番人気1着のウォーターオーレが人気無い。ダートの準オープンは格上げ馬が即通用する事がよくあるので複大量購入。これが540円。競馬って楽しい。
中山11R弥生賞。ドリームジャーニーとアドマイヤオーラの馬連、ワイドをその倍。ご馳走様。

よく考えると中山しか当たっていないのだけれども、良い配当が続いて昨日の負けとストレスを解消。
気持ち良いついでに東中野で降りてアクア東中野に寄り、サウナでぼーっとしてました。
その後呑んで・・・って良い休みですね。
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2007年03月04日

明日は負けんぞ

子供の頃虹の足下にあるという宝を求め、虹に向かって走り続けた事があります。

朝早くに目が覚める。噺家にとっては早朝の8時。
今日は昼間何も無いので思いっきり競馬ができる。こんな事が嬉しいなんて。(仕事はもっと好きです)

ところがだ全然当たらない。ブランクがちと長過ぎたか。
午後からずっとやって払い戻しを受けたのは3回しかない。
ちゃんとレースを絞って検討してからじゃないといけない身体になってしまったのかしら。それでも楽しめたのが嬉しい。

夜は合同お誕生会があったのでプレゼント物色。後楽園のムーミンカフェに男一人で入るのはある意味勇気だ。
ビール、ワイン、ケーキと、お祝い満載でしたよ。
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2007年03月02日

神話から歴史へ

明日は黒門亭です。思い出さなきゃ。まさかこんな時期にやるとはね。


昨日と同様に全て私の妄想です。

鉄器の文化を持った第二次弥生人は土着すると第一次弥生人を攻撃した。
先ず着いたのは北九州だろう。製鉄の文化はヒッタイトからトルキスタン、天山山脈を経て秦に中原を統一させ、朝鮮半島から来たという方が妥当。但し、製鉄の文化はあっても鉄鉱石を採掘する技術はまだ伝わっていなかったと思う。
第二次弥生人の代表が天照大神の孫である天忍穂耳神(アメノオシホミミノカミ)。韓国の人がよく天皇家の先祖は朝鮮から渡って来たとか言いますが、当たり前です。そんな事はどうでも良いのです。土着して混血したのですから日本民族に間違いはない訳で。それを全て受け入れる土壌が既に古代日本にはあったと思います。第一古代の朝鮮半島も中国の亡命者が建国しています。歴史とはそういうものなのです。

大国主をはじめとする第一次弥生人と第二次弥生人の戦いの痕跡は「国譲り」の神話に見る事ができます。実際は戦ったんでしょうが、神話の上では話し合いで大国主が国を譲っています。しかし小国乱立の日本列島(特に西側)は柔軟な姿勢で鉄器文化を受け入れる。それにより緩やかな連合国が出来上がったのだと思います。
始めの議長国はやはり北九州の天忍穂耳神の国だったのでしょう。なにより朝鮮に近いので鉄鉱石を輸入する通過点になる。おそらく邪馬台国もここだと思います。ところが覇権争いが始まり、北九州はその争いに敗れます。魏志倭人伝には卑弥呼の軍は負け、卑弥呼が死亡(暗殺説もある)し、豊与が推戴される。この時世襲じゃなかったのがポイント。議長国を決めるのですから世襲である必要は無いのです。ではどこが邪馬台国に勝ったのか、これが皮肉にも出雲だと思います。出雲は日本海に面し、海を渡れば朝鮮には楽々行けます、おそらく竹島も通ったでしょう。鉄鉱石を輸入し、さらには採掘も出来るようになり、砂鉄から製鉄する技術も習得したと思います。ダイダラボッチは出雲発祥ではないですか。
そこで出雲を始めとした西日本の国々(東はアイヌ・縄文人の勢力だった)は新たな議長として豊与を推戴したのではなかろうか。豊与=神功皇后説を受け入れれば皇室の祖先になる。その政権を支えたのが出雲出身の蘇我・物部・尾張といった豪族だったのでしょう。

あー妄想は楽しい。
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2007年03月01日

有史以前のお話

火曜日はMXで「08小隊」で水曜日はTV埼玉で「0083」か・・・私をどうしようってのですか。我が家は今録画できないのですよ・・・

それで有史以前のお話。
イザワ先生によると文字に記録されてからが歴史学、それ以前は考古学の分野という事ですので、その記録がはっきりしないところから始めてみたいと思います。

古代日本民族はどこから来たか。色んなところです、としか言いようがありませんな。南方、大陸、半島、シベリアなどいろんなところからやってきたのでしょう。その混血が始まり日本民族になったのだと思います。
旧石器時代と新石器時代の分け方ですが、石を割ってそれで斧だとかを作っていたのが旧石器時代。その割った石を磨いたのが新石器時代という事です。磨いた方が斧も性能が増しますからね。この辺と縄文時代が重なるのでしょうけど、縄文人は狩猟採取民族で一箇所に定住はしていないと言われていました。私もそう教わっていましたが、青森県の三内丸山遺跡がその認識を変えました。
定住していたのです、1500年も。その他に栗の栽培もしていたようです。そこそこ大きな集落を作っていて文字さえあれば国といって差し支えないでしょう。
そんな縄文人の中に稲作の技術と青銅器を持った弥生人が渡来してきます。私の妄想でこれを第一次弥生人としておきます。稲作による安定した食料の確保による人口増大と青銅器によって弥生人は次々と日本列島を支配していきます。この中で最も強かったのが出雲の大国主命。早い話が国つ神は第一次弥生人であると。
大国主には「日本書紀」ではスサノオの子となっているが「古事記」では6世の孫。また別名も沢山ある事から、「大国主」というのは称号なのかもしれない。
ここへやってきたのが鉄器を持った第二次弥生人という事で、「鉄」はここへ出てくるのでした。
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2007年02月27日

東北人は偉いと思う本

新宿へ払い戻しに。あんまり長く人混みに居たくないのですぐに帰る。トルティーヤチップとサワークリームを購入。何気に好物です。

『井沢式「日本史入門」講座 A万世一系/日本建国の秘密の巻』井沢元彦/徳間書店

この間の続き。副題とかあまり考えずに本当に続きとした方が良いかもしれない。
通史のスペシャリストのイザワ先生ですから日本だけでなく朝鮮やイギリスとの比較も出てきて相変わらず解りやすい。
結構歴史を考えるには浅くとも広い知識が必要になってきますね。今回も農業等食糧問題等かなり重要な事として取り上げられています。

ここ数ヶ月の流れでなんとなく古代史の流れを書けるかなと思っています。来週は平日暇だから一挙にやってしまうかな。
ただ明らかに蘇我寄りです(笑)
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2007年02月26日

鍋するとわかっていたから寒いのね

寒い、寒いぞー。冷蔵庫マンより寒い。

という事で新婚の相棒が鍋パーティーをやるという事なので日本酒持参して行ってきました。
初めて谷中銀座に行ったのですが賑わってますね。猫も太ってます。
そして安いです。コロッケ30円ってどんなんだ。
そんな途中下車の旅を終え新婚宅へ、おおー思ったよりも広い。
階段の下にも猫が居る。そして鍋突く。

そしてずうずうしい私は中山記念を勝手に観戦。
ありがとう後藤騎手。貴方なら逃げると思っていた。
阪急杯、うーんスーパーホーネットは次走また狙う。

その後も物凄い勢いで酒が進み、終いにケーキまで食べ、虫談義をしながら終了。(虫談義とは今まで見た大きな虫を競い合う無意味な会談です)
全生庵も近いし八月はここで涼むか・・・
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2007年02月24日

和を以って尊しと為す

『井沢式「日本史入門」講座@和とケガレの巻』井沢元彦/徳間書店

「逆説の日本史」の解説書みたいな位置ですかね。
主に日本人の宗教観について。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教と比較されていて解りやすいです。

巻頭の台詞が痛快。

日本は、今、中国からは「靖国参拝をやめろ」、
韓国からは「歴史を歪曲している」と
やいのやいの言われていますが、
冗談じゃありません!


で日本における宗教テロの代表「天文法華の乱」について書いてありましたのでこの解説を。

天文法華の乱Wikipedeia

信長に焼かれた比叡山ですが、その歴史は被害者よりも加害者です。
比叡山の僧兵は1532年(天文元年)に京都に21カ寺あった日蓮宗のお寺をすべて焼き討ちしました。同じ仏教、同じ法華の宗派でも敵対してしまうのが恐ろしいです。そしてその被害者の日蓮宗も京都山科にあった本願寺を焼き討ちしています。本願寺はここで大坂の石山に移転しているのです。その本願寺は今度は一向一揆を指導して・・・と信長が焼く気持ちもわかります。
こう書くと私は宗教全否定派のようですがそんな事はありません。国の文化・規範を作るのはやはり宗教だからです。宗教から哲学が生まれ科学が発展するというのは間違いないのです。(宗教が足を引っ張る事もありますが)宗教無しには法律すらありえないのです。
で、日本人の宗教観として、「和」と「ケガレ」、さらにはイザワ先生お得意の「言霊」まで発展していきました。
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2007年02月23日

私的超人考

昨夜投稿しようとしたらなんだか重くってそのまま諦めました。

キン肉マンで育った私なので今さら超人批評をしてみたいです。

・ロビンマスク
全シリーズを通しての準主役。一番美味しいところを持っていく天才。キン肉マンと唯一2回戦った超人(シングル)。
・テリーマン
たぶん弱い。技が地味。完勝できたのはスカイマンくらいか。
・ウォーズマン
100万パワーの噛ませ犬。
・ラーメンマン
残虐超人もいつの間にか正義の味方。相手でも自分でも血が大好き。
・ブロッケンjr
成長過程で連載が終わる悲劇。リモコンハットに笑った。
・ジェロニモ
人間の時の方が強い気がする。
・ウルフマン
いつの間にか居なくなった。
・ミート君
パンダTシャツ。
・バッファローマン
次々と抜かれる1000万パワー。
・スプリングマン
4000歳!
・アシュラマン
インド出身→クモの化身→魔界のプリンス。
・ザ・ニンジャ
実は一度も勝っていない。
・ジャンクマン
どうやって飯を食う?
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2007年02月22日

部屋の時計が4時間遅れてる・・・

先週電池換えたのにな。

月例俳句会。今日は字の勉強です。

「如月」
「春の空」
「春雷」

如月や甘い煎餅恋しくて
珈琲と煙草のけむり春の空
春雷に驚き一人登山道

TV見ながらだと下手ですね。
国立劇場の稽古場でやっているんですが、私が書記をしている隣の部屋で義太夫の稽古をしたり踊りの稽古をしたりで、色んな教養が一度に身に付きそうです。
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2007年02月21日

というわけで2杯

昼間落語協会事務所で福袋演芸場会議。
今年はスタッフとしてのみの参加です。受付、呼び込み等でお会いしましょう。人数と枠の関係でどうしても出られない人が出てくると。

その後は浅草へ行って師匠に電話以外で久々に会う。そして昼の部主任の権太楼師匠にご馳走になりました。今席浅草昼夜の主任にゴチになってますな。

で初めて食べた塩ちゃんこ。ちゃんこ料理屋って普段行かないから新鮮です。身体も温まりお腹いっぱいで「もう食べられない!」と思っていましたが、権太楼師匠の言う通りしばらく経ったらお腹が空いてくる。ほとんどの具が野菜だからですね。

しかし師匠の前でお酒飲むのは気が引けます。
師匠は弟子が酔っ払うの一番嫌いですから。
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2007年02月20日

真剣に競馬やっている人は美しいと思った

完全に乗り遅れたので例の件で発言は控えます。

FEC支援室によると競馬の予備校予想家育成プロジェクトの◎成績が発表されていた。単純に◎を打った馬の成績や傾向を見る。他の人も居ますが一応私の成績を見て反省材料にしましょう。

着順平均
5.8
平均人気
5.8

いきなりこれを見て笑った。人気薄を狙うのは穴党として仕方ないとしても着順は上に持ってこいよ!上にも下にも行かず上手いのか下手なのかわからなくなってきた。

単勝回収率
158.0%
単勝的中率
30.0%

これは威張っても良いのでは。正直100%越えているとは思わなかった。平均人気5.8でこれなら狙いはそれほど間違っていないのね。というか3割勝っているなら勝っていない馬の着順は相当悪いという事か。

連対率
40.0%

これも同じ理由ですね。勝率と数字変わらな過ぎ。

複回収率
101.0%
複的中率
40%

だから穴の単勝が多いと。
まぁだからこのブログを参考にして馬券を買っている方は◎の単複を買いましょうよと。私も普段からそうしてますから。
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2007年02月17日

山羊のお話

ル・プティ・ニ寄席当日の昼間、埼玉県は羽生へ遊びに行きました。
きたがわさんとおひげさん(叔父)と梅さんと行ってきました。
梅さんは子供の頃から知っているのですがよくわからない謎の人です。(おひげさんも叔父ですが謎です)くるくるレインボーで日本中を駆け巡っているそうですが・・・

始めに訪れたのが雨読晴耕村舎
こちらの後藤さんがまた凄い。「わかりやすいように」と外へ出てきてくださったのですが、山羊のヌー君を連れていました。山羊を飼っている人は初めてです。古い素敵なお宅で畑があって森があって三畳ハウスがあって木の上にもハックの小屋がありました。
山羊だけでなく鶏と犬も居て、私は正直犬が凄く恐いのですが、そんな私でもつい撫でてしまういい子ちゃんでした。
そして天然酵母のパンをご馳走になり、バジルソースを購入しました。よく見ると大蒜が大量に入っているようなので要注意です。

そのあと羽生の図書館へ行き、人形劇をやっている方とお話、そして五人の観客の為に人形劇を見せてもらいました。なんでしょう、これがまた楽しいんですよ。仕度をし始めてから皆さんがどんどん生き生きしてくるのがまた素敵。

うーん・・・頑張っているんですがなかなか伝わりませんかね。いや、私にも先ず理解できていないところが多いんで。
来月梅さんが雨読晴耕村舎で面白イベントをやるそうです。その時またご報告致します。
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2007年02月15日

春一番ですか

雨風の中「バブルへGO!!」を観てきたのですが、うーむ・・・広末が可愛い。
色々伝説を聞きますが、あの時私が噺家だったら絶対に努力しないで腐敗していくなと思ったのです。

帰りにふと祟りについて考える嫌な癖が出たので今日は崇徳天皇です。

瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ

「崇徳院」で落語にも馴染みのある崇徳天皇。上記の歌は落語ファンなら誰でも知っているロマンチックな歌ですが、崇徳天皇こそ日本史上最大の祟り神なのです。
生まれた背景が凄い。鳥羽天皇の第一皇子という事になっていますが、真実は祖父白河法皇と後に白河が鳥羽に与えた待賢門院との間の子でした。鳥羽はその事を知ると「叔父子」と呼んだという。
そんな背景もあり白河には寵愛を受け5歳で譲位されるが、白河死後は鳥羽に疎んぜられ異母弟の近衛天皇に譲位する。普通は崇徳の養子という形式を取るが近衛は「皇太弟」として即位した。これにより崇徳上皇は将来治天の君にはなれなくなった。ところが近衛が子を残さないまま17歳で崩御し、崇徳と左大臣藤原頼長に近衛呪詛の疑いが掛けられる。怒った鳥羽は自分と待賢門院の子である後白河を皇位につける。鳥羽死後に崇徳一派は復権を賭けクーデターを起すが敗れ崇徳は讃岐に流される。(保元の乱)
讃岐での軟禁生活の中で崇徳は前非を悔い改め五部大乗経の写経をし、京の寺へ収めて欲しいと願ったが、後白河はこれを撥ねつけ写経を送り返す。これに怒った崇徳は自らの舌を噛み切り写経の上にその血で「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と書き込んだという。そして爪・髪は伸ばしたまま夜叉のような姿になって憤死したという。
この呪いが効いたのかこの後から武士の時代が始まる。承久の乱で完全に信じられたようだ。さらには「太平記」にも悪霊の親玉として登場する。これが終わったのは明治天皇即位の時、讃岐に使者を送り崇徳の霊を京へ帰還させ白峯神宮が創建された。
またタイアップか・・・
明日はル・プティ・ニ寄席です。
posted by 入船亭扇里 at 01:01| 東京 ?J| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記