2007年01月14日

歴史ノート 後醍醐天皇

タマモホットプレイの複勝とワイドで勝負したが、あまり儲からない。どうやったってエイシンツルギザンは私には買えない。


前回の尊氏が京へ入るまであまりにも簡単に書き過ぎましたんで少し細かく。

足利尊氏Wikipedea

尊氏は鎌倉で反後醍醐天皇派や弟の直義、家臣の高師直等に担ぎ上げられました。後醍醐は帰還命令を出していましたが、「京へ帰ったら殺されるのがオチ」という事です。尊氏自身には叛意は無かったらしく髷を落として仏門に入ろうともしていました。それをみんなで担ぎ上げたのです。
尊氏は新田義貞を君側の奸であるとして討伐を後醍醐に上奏しますが、逆に後醍醐は義貞を尊氏討伐に差し向けます。緒戦は新田軍の優勢でしたが、尊氏が陣中に出ると形勢は逆転、京へ迫ります。
ここで後醍醐は楠正成、奥州軍団を率いる北畠顕家を投入。尊氏は敗れ赤松円心の進言により九州へ下ります。
九州で兵を再編した尊氏は湊川の戦いで楠正成、新田義貞を破り京を制圧。比叡山に逃れていた後醍醐と和議を計ります。後醍醐は和議に応じ、光明天皇に譲位し神器を譲りますが、後醍醐は幽閉先から吉野へ脱出。光明に渡した神器は偽物であると宣言し南朝を開きました。

この時点で北朝と南朝の軍事力バランスは明らかに北朝に傾いていましたが、南朝にも天皇と本物であるという神器があったので権威という事では同レベルであったのでしょう。吉野へ落ちて後醍醐天皇は各地へ皇子を送り北朝に対抗しますが、後村上天皇に譲位し崩御します。その遺言は「玉骨ハ縦南山ノ苔ニ埋マルトモ、魂魄ハ常ニ北闕ノ天ヲ望マン」と太平記は伝えています。

後醍醐天皇の評価ですが、戦前は中興の英雄ともてはやされていましたが、最近は評価が低いようです。
後醍醐天皇の得意技といえば綸旨でした。綸旨とは天皇の意思を伝える命令書の事ですが、他の宣命、勅書等とは違いその手続きが簡易なため後醍醐はこれを連発し、独裁を築いていきました。が、手続きが簡易とはいえそう一人で仕事はこなせるものではありません。
「このごろ、都に流行るもの夜討ち、強盗、謀綸旨(にせりんじ)」と二条河原落書にあるように偽物が横行してしまったのです。
さらに後醍醐は朱子学の信奉者で武家に対する差別意識が強かった。軍事力を持たない朝廷が軍事政権である鎌倉幕府を倒すためには武士の力を借りるしかなく実際そうなったのですが、後醍醐は武士を毛嫌いしていました。楠正成、新田義貞といった有力な武家にも後醍醐は正当な評価をせず、命令を二転三転したりしています。
そして独占欲の強さ。これは倒幕へのエネルギーにもなっていますが、結局は混乱を招く結果になってしまいました。
朱子学という徳治の思想を学んだ人は失徳の人だったのです。

次は観応の擾乱というもっと訳のわからない事などを。
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2007年01月13日

歴史ノート 持明院統と大覚寺統

先だっての「奥州探題」についてのコメントでケン坊さんがこの時代の知識が無いという事から、少し南北朝・室町期について書いてみます。一度じゃ収まらないので、何回かに分けられたら私の根多不足も解消です。
はっきり言いましてこの時代を知らないというのは学校でほとんど教わらなかったという事でしょう。私も教わった覚えがあるのは、「南朝と北朝に分裂した」「足利義満によって合一された」とこのぐらい。歴史にさほど興味が無い人なら気にもとめないでしょう。でもこれは大事件な訳です。

先ず発端は後嵯峨天皇です。この天皇は后腹の次男である亀山天皇を溺愛しました。一度は兄の後深草天皇に譲位しますが、亀山天皇に譲位させました。そして皇太子は亀山天皇の子にという流れを作り結果的に皇統を後深草系(持明院統)と亀山系(大覚寺統)に分裂させました。両統は対立し鎌倉幕府の介入もあり両統から交互に天皇を即位させるという(しかも任期付き)おかしな相続が始まります。
この大覚寺統から後醍醐天皇が登場します。

後醍醐天皇Wikipedeia

後醍醐天皇は大覚寺統でも傍流であったため、皇位継承を持明院統に譲る事を好まず、自分の系統で独占しようとしました。これと鎌倉幕府への世論の反感がくっついて、楠正成、新田義貞、足利尊氏等の武士の力により倒幕はなり、皇室での権力を独占します。
「建武の親政」と言われる後醍醐天皇の政治ですが、これが実質大失敗。朝廷は武力を持たず武士の力によって倒幕はなったのですが、実際に働いた武士への恩賞は薄く平安朝と同じ公家の政治を実行し始めます。当然、武士の不満は募り、そこに最後の執権北条高時の遺子時行による反乱(中先代の乱)が起きます。足利尊氏はこれを単独で鎮圧。そして鎌倉に居座り後醍醐天皇に不満をもつ武士に担ぎ上げられ叛旗を翻します。尊氏は戦上手でもあり世論を味方につけ京を制圧。持明院統の光厳天皇を神器の無いまま即位させ征夷大将軍に任命され、ここで吉野へ落ちた後醍醐天皇(南朝)と光厳天皇(北朝)の二人の天皇が同時に存在するという、訳の解らない時代に突入します。

面白くなってきたところで今日はここまで。
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2007年01月12日

疲れた・・・

FEC2期目のドラフトが開催されました。
競馬の予備校

我が黒組はドリームパスポートやらドリームジャーニーやらダイワメジャーやらを獲得できて、らしいと言えばらしいのですが・・・

敢えて言うならカワカミプリンセス姫を欲しかった。
4チーム中3チーム競合だなんて江川並です。
そこをドリームパスポート1位指名の我がチームは阪神ですか?
ドリームパスポートは小林ですか?

なんだかわけわからなくなりましたんで。
今日はこの辺で。
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2007年01月11日

初席千秋楽です

今日叩いたのは仲入りの太鼓ぐらい、相方はろべえさん。後は笛を吹いている三之助兄さんの隣で呑気に鉦を叩いてた。
東京の噺家はみんな前座を経験しているので鳴り物は全員できるというのが考えようによっては凄い。

後はまぁ花緑師匠と楽天的な生き方をした方が良いという話をしたり(全てに感謝していると健康でいられるそうです)、〆治師匠と競馬の話をしたり(三日間勝ち続けたそうです)とそのくらいか。

初席に限り楽屋打ち上げが行われ、呑めない小三治師匠がお酒を仕度してくださったりします。私は影でこっそりドーナツを食べていましたが。

空いた時間があれば気兼ね無く寄席へ行ってという十日間が終わってしまいました。明日から何処へ行こうかなぁ。
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2007年01月10日

実は父方が福島県な私

今日は昨日より太鼓叩きました。
雲助師匠、正朝師匠、白酒師匠、世津子先生、小袁治師匠、扇橋、さん喬師匠。腕が鈍ってます、これでも昔は上手だったのですよと大きな声で言いたい。(誤魔化すのは今でも上手)

競馬の予備校で「奥州探題」に任命された黒組盟友の甘利千曲さんが「奥州探題とはなんぞや?」という事ですので、調べました。

Wikipedia 奥州探題

明徳3年(1392年)、3代将軍足利義満は鎌倉公方足利氏満と和解し、陸奥、出羽両国が鎌倉府の管国に加えられ、奥州管領職は廃止された。陸奥、出羽の国人も鎌倉府への伺候を義務付けられる。応永6年(1399年)、鎌倉公方足利満兼は満貞、満直の二人の弟を稲村御所、笹川御所として下向させた。しかし、この頃から将軍と鎌倉公方の関係はかなり悪化しており、幕府は関東や奥州で鎌倉府時代と対立している有力国人を京都扶持衆として直臣化して鎌倉公方に対抗した。また、応永7年(1400年)には大崎詮持を奥州探題に任命したという。以降大崎氏が世襲する。


私は室町幕府が設置したと勝手に思っていましたが、元々は鎌倉府の傘下にあったんですね。奥州探題は鎌倉府直属で守護のようなものだと思えば良いだろう。以後伊達稙宗(政宗の曽祖父)が陸奥国守護職に任じられるまで大崎氏が世襲し、晴宗(稙宗の子)が奥州探題に任じられ伊達氏が世襲。ケン坊さんも指摘していますが、政宗の時は室町幕府は滅んでおり自称であったと。

室町幕府の対立者と考えるとまず南朝を思い浮かべますが、鎌倉府(鎌倉公方)も大きな存在だったのです。武士の勢力の強い関東に幕府を置く事ができなかった幕府は、尊氏の次男基氏を派遣し以後鎌倉公方と呼ばれるようになる。要は南北朝と同じで、将軍が二人居るような状態だった訳です。以後何度も幕府と対立していきます。上杉謙信が拝命した関東管領はこの鎌倉府の役職です。
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2007年01月09日

「鞍馬」は緊張する

そういえば昨日おみくじ引きました。
結果は「大吉」
今年は一点の曇りも無いようです。
ありがとう!金龍山浅草寺さま。

で、三日連続開催の三日目です。
例年の四日連続開催でしたら一日は休むのですが、三日となると休めません。

キャーな出来事は、10R成田特別。
マークシートに1点塗り忘れました。
三連複45,150円獲り損ねました・・・

そうなるとリズムは狂い、初富士Sプリモスターはブービー負け、シンザン記念は1着3着。(ワイドを抑えていたが雀の涙、単勝勝負しろよ)
財布もどんどん軽くなっていきましたが、中山最終で三連複10,260円を獲って生き返る。おかしいなぁ、大吉なのに。

その後鈴本へ。鳴り物で入っているのに世津子先生と伯楽師匠の太鼓しか叩きませんでした。うーむ。
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2007年01月07日

3連単なんてちゃんちゃらおかしくって変えないです

今年も無事に中央競馬の開幕を迎えられました。
起きたのが遅かったので後楽園場外に着いたのが中山7Rのちょっと前。幸先良く当ててやろうと、人気のキングアーサーから馬連を4点に流す。
ゲートが開いた瞬間、キングアーサー鞍上の横山典騎手が落馬。1秒で外れました。しかもヒモで決着、馬連4350円。。。これが今年の初競馬って。

こりゃ駄目だと判断した私は東西金杯の馬券を買ってウインズ脱出。
買った馬券は東西ともに◎の複勝とワイドBOX。これが正解だった。
早めに脱出したのが正解だったかはわからない。居続けたら勝ったシャドウゲイトも買えたかもしれない。いや、あんな馬鹿勝ちした後のホワイトマズルは私には買えないな。
京都は外れ。でも年明けから関西に行くヨシトミ騎手に意欲を感じる。まぁこれは去年からなのだが。関東に居れば勝てそうな馬に沢山騎乗できる同騎手が、わざわざ騎乗数の少ない関西に行くなんて。(今日は5鞍、勝ったのは金杯だけ)これはきっと、
呪われているに違いない。
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2007年01月04日

今年の初高座は5日研精会です

暮れからお正月に掛けては毎度高座少ないですね。某兄弟子が、
「正月ほとんど高座に上がらず呑んでばかりいるから口調が戻らない」
と以前嘆いたいたのを思い出します。

今日本屋へ寄ったら武田信玄と山本勘助の本だらけでした。大河ドラマの力は凄いです。
その前に山本勘助が実在したのかはかなり疑問ですが。
イザワ先生も書いていましたけれども、武田家中で山本勘助の地位はそれほど高くなかった(あ、実在すればの話ね)というのは間違いない。武田信玄の人材登用はかなり保守的で、エライ武将の出身地は殆ど甲斐。これが敵に仕えていた秀吉とか光秀とか出自がアヤシイ滝川一益等を抜擢してきた信長との決定的な違いだと。
変化を求められていた時代の要求に答えられなければ天下は獲れない。その前に天下を獲る意思があったかが問題ですが。

それではお江戸日本橋亭でお会いしましょう。
posted by 入船亭扇里 at 23:57| 東京 ????| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2007年01月03日

新年早々暴走します

お正月は生活が乱れます、いや本当に。今年の初高座は5日の研精会ですが、それまではただの呑んだくれですよ。

日本の歴史をざっと見てみると、ある事に気がついた。
やはり「通史」という事は必要なんですよ。
ある事というのは、我が国では古代から中央集権を進める派とそれに対抗する貴族・豪族との戦い通しであったという事。


蘇我(律令導入派)と物部
蘇我と藤原
何故律令に反対するかというと、律令の大前提は「公地公民」であるので、広大な土地所有により権威・権力を誇っていた豪族にとっては死活問題であったのです。最終的には律令を導入しているように見せかけて、実質無力にしてしまった藤原氏の勝利。
院政と藤原
院政とは上皇・法皇による政治の事で、藤原氏によって占められている政治機構の外に存在する立場はかなり有効であったと思います。
朝廷と関東武士
もはや形骸化してしまった朝廷から独立を目論んだ関東武士達。平将門・源頼朝には同じ思想があったと思います。政治的理想は武士による中央集権です。
後醍醐天皇と武士
後醍醐天皇は明らかに中央集権を目論んでおりますが、その理想はかなり現実とかけ離れている。足利を中心とした武士の理想は鎌倉武士達と同じ。ただ北条氏により鎌倉幕府の政治にはかなり無理が出てしまった。
足利将軍と豪族
室町幕府の政治は各地の巨大な豪族の力に圧されてしまった。義満・義教はその豪族の力を削ぐ事に一生を捧げている。
織田信長と戦国大名・寺社
信長のやろうとした政治はまさに中央集権。ところが各地の大名・寺社は既得権益を手放さないよう抵抗している。理想は秀吉・家康に引き継がれる。
江戸幕府と大名
初代徳川家康は独裁者であったが、その後の将軍はあまり権力が無い。政治は老中を中心とした合議制でなされていく。幕閣になる譜代大名は小大名が多いので巨大な外様大名を次々と滅ぼしていく。

その後の明治新政府と江戸幕府は理想は同じなのだろうけど、手段の違いであったのだと思います。将軍が中心か天皇が中心かと。
何故そんなに抵抗があっても中央集権を目指すのかというと、権力の分散というか各地に豪族・軍閥が居る状況というのはかなり不安定で、いつ反乱が起こってもおかしくないのです。今は金銭が経済の主流ですが米の生産高が全ての時代は「土地寄越せ」は「死ね」と同義。税制が金銭に変わっていくまでこの争いが終わらなかったのでしょう。
やはり歴史は繋がっているのだなと思いました。
posted by 入船亭扇里 at 22:09| 東京 ????| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2007年01月02日

改めて今年の抱負なんかを

一年の計はなんとやらで・・・もう二日ですけれども。

今年の目標は、「帯取る」とかそういう事ではなく、「蟹を釣る」とかわけのわからない事でもなく、「ペン3ピンでチャンタ三色を上がる」なんて小さい事でもありません。
自分で書いていて頭おかしくなってきた。まぁ、酒は入っているのだけれども。

まぁ「芸は兎も角人間として成長していきたい」とこんなところで。

二日は私の親類が集まるのが常で、仕事が無ければ参加してます。
おかげで昼間からよく呑みます。私はお酒強くありませんが、親類連中は酒豪揃い。
今年の料理は最後に食べた蕎麦掻きというかきのこ汁が最高。
posted by 入船亭扇里 at 23:40| 東京 ????| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2007年01月01日

あけましておめでとうございます

一応芸人らしく。

昨年もいろいろな事がありました。楽しい事、辛い事。そして今年もいろいろな事があります。
全て前向きに考え、後ろへ引かずにいたいと思います。

本年も宜しくお願い致します。
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2006年12月31日

今日は全然動けなかった

私は扇辰師匠曰く「若市馬」だそうですが、私はそんなに古い歌を知っている訳ではありません。

折角なので今年一年を振り返る。
世間的に印象に残ったのは春のWBC。日本のプロ野球が世界一になりました。ファウルボールを獲りに行った多村選手がフェンスに激突した時は冷や汗が出ました。「これで今年も駄目か」と思いましたが、その時は平気。その後も大活躍でした。ところがシーズン始まってすぐに故障。来年は福岡で怪我の無いシーズンを送ってもらいたいです。
競馬は世間はディープインパクトなんでしょうが、去年の方が印象が強かったです。お世話になったという気がするのはカナハラドラゴン。新潟大賞典11番人気2着。馬連をガッツリ買っていたので一時的に生活が潤いました。合掌。

個人的には今年一年で素敵な人、お店に出会った気がします。
勿論今までお世話になった人も含め来年も宜しくお願いします。
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2006年12月30日

ひさびさの朝書き源蔵です

師匠宅を大掃除。
というか換気扇に2時間以上取られました。手強い。

夜は弟子だけ集まって忘年会。
扇治師匠の娘は本当に美人。7歳ですけど。

そんなベロベロになった扇治師匠を送っていったのは覚えているのですけど、私もそうとうベロベロでしたのでその前後の記憶を無くしました。

余裕が無いくらい頭痛いです。。。
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2006年12月29日

明日は師匠宅を大掃除します

「降魔の帝王」井沢元彦/ケイブンシャ文庫

イザワ先生はアレだな、歴史の話を書きたくて現代のミステリーを書いているんだな。
後醍醐天皇と南北朝の事が出てきました。
藤原氏と南北朝じゃかけ離れているとお思いかもしれませんが、「近代を語るには先ず古代から」というのが私の持論です。古代史を知らずして幕末も大東亜戦争も完全な理解はできないと思うのです。しかし通史を研究している人は殆どいません。歴史の学問は分別されています。広く浅くが一番良いのですがね。

面白かったのは「長男が嫌い」という事。エライ人の正室は子供の頃から決められている良家の娘で若いうちに無理やり結婚させられる、子供が出来たが大人になって自由に恋愛をするようになって側室をもうける、そして子供が生まれる。さあ、どっちが好き?という事ですね。護良親王(長男)も嫌われたわけだ。
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2006年12月28日

書いてみると事実に思える

今年も残り僅かという事で散髪を。
つくばEXPのおかげで妹の店まで1時間掛からなくなった。
不精で伸びた髪もさっぱり、頭は軽くそして寒い。

今年最後の暴走をしてみると。
藤原氏等古代の今のところのまとめ。
全て私が勝手に言っているだけなのであまり信じないように。
・蘇我氏は皇族もしくは臣籍降下した家系であった。
・律令の導入を進めていたのは蘇我氏だった。
・蘇我と物部の争いはこの律令を巡る争いだった。
・中臣鎌足は滅亡した百済の皇族(豊璋の一族か?)で日本の中枢に潜り込み、君臨していた蘇我氏を排除した。(ケン坊さん説を含む)
・蘇我氏を暗殺という手で滅ぼした中臣(藤原)氏は「日本書紀」を編纂。蘇我氏の功績と己の悪事を歴史から消した。
・蘇我氏の功績を厩戸皇子(聖徳太子)の功績にすり替え、その一族を蘇我氏が滅ぼす等、蘇我は古代でも最大級の悪役にされてしまった。
・律令は藤原氏の手で完成するが、その後度重なる法の整備で公地公民という制度は形骸化した。
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2006年12月26日

蛋白も足りないようなので

ラストクリスマスらしく映画「大奥」を観に行く。
テレビでも多少は観ているのだけれども、扱う時代はもうこれしか残っていないよね。
時代背景だけ明かすと、噺の「紀州」のちょっと前です。

先だって「その時歴史が動いた」で同じところを見ていたので予習はばっちりのはずだったが、甘かった。
でも争った二人はその後仲良くなったのか、それとも始めから仲が良かったのか同じお墓に入っています。

その後は今月数度目の焼肉を食べる。
半額券を持っていたので安上がり。

まだまだ今年は残っているから肉食べます。
ええ、コレステロール値を人並みに上げるまで食べます。
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2006年12月24日

だからシェイクハンドしましょう

今さらお歳暮行って、久しぶりに渋谷場外へ。
1年以上来ていない気がする。歩道橋で迷いそうになる。

明日がクリスマス・イヴという事もあって、カップルが多いです。女の子の大半はつまらなそうな顔をしていますが。まぁ二人揃って博打打じゃ怖いですけど。
ちょこちょこ当ててはいるんですけど、固い配当ばかりです。大障害もアグネスハットが差せばなー、なんて思います。
カワカミプリンセスが降着でフサイチホウオーは何故降着にならないのでしょう。改めて博打の厳しさを知ります。

有馬記念・残りの馬の見解

・ポップロック
・デルタブルース
ここでこ奴らが馬券に絡むと、ステイヤーズSの存在意義が問われる。
・ダイワメジャー
内枠で充実しているとはいえ、900m延長は嫌いたい。この秋は稼がしてもらったけど。
・メイショウサムソン
春頑張り過ぎたツケがまだ残ってそう。ピークも短そう。
・アドマイヤメイン
前走は疲労で負けたとはいえ、一度の凡走で疲労が抜けるとは思えない。オオ逃げなんて人気の無い馬がやるもの。
・スウィフトカレント
ベストパフォーマンスは2000mだと思う。
・アドマイヤフジ
こんな長期休み明けで来るのなら、ダイワオーシュウも来てる。
・ウインジェネラーレ
・トーセンシャナオー
能力的に見劣る。こういうタイプは嫌いじゃないが。
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2006年12月23日

冬至です。南瓜食べましたか?

私は食べてません。慌ててコンビニでパンプキンスープを買いました。

「日本を不幸にした藤原一族の謎」関裕二/PHP研究所

という訳で藤原氏の本を読んでしまいました。コメントにあったケン坊さんの説もここに出ていました。なるほど妥当だなと。
ここには乗っていませんでしたが、聖徳太子=蘇我入鹿もなんとなく当たっている気がしました。

藤原氏の罪とは、律令制度の破壊に他ならない。
律令の導入を進めていた蘇我氏を滅ぼし、三世一身法・墾田永年私財法は律令の否定でしかない。
そして藤原氏が栄えると他の氏族は尽く滅んでいく。
皇室にだって容赦しない。

武士の天下になっても藤原氏は生きている。力は多少落としたとはいえその財力は凄い。なにしろ寺社を除けば日本中の荘園は藤原氏のものだったのだから。

近衛家の血を引いた人が首相になった事も近年ありましたね。
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2006年12月22日

齢三十、楽しい事が増えてきた

今年初めに「かえるのうた」で私のピンク映画に対する考えを変えてくれたいまおかしんじ監督の「おじさん天国」を観に行きました。

公式サイト

近くでやっているのに遅くなってすいません。映画はポレポレ東中野で22日までレイトショー上映です。後一日ですね。

私もイカを釣ってみたくなった。しかしイカを釣ることがテーマなのかはわからない。たぶんそんな事はいまおか監督にはどうでも良いのだと思う。その場で面白ければ良いのかなと。

帰りに監督にもご挨拶できました。
もちろんビトさんの歌も素敵。
ナイスカンパニー久米水産♪
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2006年12月21日

ZZガンダムやってる・・・

今日はよく眠れた。ここ数日眠りが浅くって、お爺ちゃんになったのかと思っていましたが・・・

千秋楽なので浅草の楽屋へ。
初花さんがよく肥えている。
私の方がおそらく食べているのに。

終演後は師匠とラーメン、一杯290円。
師匠は宝くじを購入、一枚300円。
そしてコーヒー、一杯330円。

師匠が日に日に携帯メールに慣れてきました。
そのせいか、最近電池の減りが早いそうです。
posted by 入船亭扇里 at 00:47| 東京 ????| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記