2006年01月11日

出演情報更新予定は明後日の昼間かな

初席千秋楽。
先ず、私が鳴り物で入っている鈴本昼の部へ。少し叩く、鉦も叩く。
そして師匠が入っている浅草4部へ。合間にコーヒー飲んでいたらギリギリだった。
それから上野へ戻る。
そして坦々麺を師匠と食べてコーヒーを飲んでおしまい。
初席の二ツ目ってこんな生活なのかしら。

まだ気が早いですがね、今年の福袋の話。
出演は10月9日、体育の日です。
他にはきん歌、初花、馬吉の面子。
おいおい、一番上だよ。
何か企画をと初花さんと話し合いましたが、高座で本気で殴り合うとか変な大喜利くらいしか浮かびませんでした。
募集します。って随分気が早いですが。

二の席も変わらず高座ありませんが、扇橋は池袋新宿の昼席に出演です。
という事は私も何日か楽屋に居ます。
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2006年01月10日

噛まないでください

ご近所の誼なのか、ソニーマガジンズ発行「MOCA」の新年会に誘ってもらい、のこのこ行く。
クリエイターさん達は綺麗な女性ばかりで緊張する。
そしてサンボの達人達はいい身体をしている。

今日学んだのは、謎の「どんこ鍋」は美味しい
インドネシア語の「気持ちいい」は「エナァ」
謎の「うさぎパン」なるものが存在する。
桃鉄はやっぱり面白い。
寒さと大量に玄米茶を飲んだせいかトイレが近い。

しかしYさんのお宅が師匠の家の真裏だったとは驚きだ。
東中野は侮れないですね。
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2006年01月09日

週末によく電話かかってきます

「relax」を見ていただいたでしょうか?
(多くの人が読んでいると信じています)
認めたマニアは誰なんだ?という疑問は置いておいて、全国的に競馬が趣味と認められてしまいました。

今日楽屋での会話。
朝太「兄さんまるで博打打じゃないですか」
扇里「何を今さら・・・」

一朝師匠「金杯どうだった?」
扇里「いやー、ワンモアチャッターからいってたんで、全額払い戻しです」
一朝師匠「俺もそうなんだよ」

そういや、師匠の立て替えた分まだ貰ってないやー。
明日も競馬の開催あるんだって、信じられない。
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2006年01月06日

朝師匠から「金杯の馬券立て替えてくれ」って電話があった

毎年一月五日は東西金杯の日。今年の競馬始め。
それはレース発走5分前。
ワンモアチャッター放馬により発走除外。。。

あのねぇ、私はワンモアチャッター絡みの馬券しか買ってないんですよ。もうその時点であれだけ長い時間掛けて予想したのに見ているだけしかないんですか。勝ったヴィータローザも2着のアサカディフィートも3着のカナハラドラゴンもみんな紐に買ってたのに、見ているだけしかできない。あー競馬って見ているだけじゃつまらない。かと言って無理に発走させて惨敗されたらもっと嫌なんだろうけど。(例メジロブライトの宝塚記念)

そんな訳で京都金杯の本命グレイトジャーニーも直線伸びきれず5位入線4着。今年の馬券生活はどうなるのかねー。

それとお知らせ。昨年12月10日の深夜寄席がマガジンハウスの「relax」という雑誌の取材を受けました。1月6日発売です。私もインタビューを受けたので掲載されているかもです。

relax(マガジンハウス)
http://relax.magazine.co.jp/top/index.jsp
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2006年01月05日

師匠から留守電で「金杯買いに行く?」だって

可愛いと評判(?)の新しい写真館ですが、私の生まれた家が何をやっていたかがすぐにわかってしまいますね。
見ての通り私の実家はパン屋でした。祖父はまだパン屋をやっています。
写真の地域もわかる人にはすぐにわかってしまうんだろうなぁ。

私の父はパン屋の前は金物屋だったのですが、それが何故パン屋になったかというと、パンというのはイースト菌を使って発酵させます、するとこんなに小さかった生地が大きく膨らむではありませんか!これは儲かる!という冗談のような理由だったようで。

子供の頃は私も店を手伝いました。耳の中に粉が入ってごそごそします。200度ある釜の前で作業をする為に痩せたりします。重たい鉄板を使うので上腕二頭筋が発達したりします。

今じゃ絶対にあんな仕事はできないな。扇子より重たいものは使いませんから。

ちなみに一緒に写真に写っているのは小さいのが妹、大きいのは従姉弟です。みんな可愛いなぁ、あの頃は。
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2006年01月04日

3日にもなるとお正月気分でもないな

そういえば前に新撰組占いというのをやった。色々打ち込み近藤かな土方かな芹沢だったら微妙だなと思っていると、井上源三郎だった。

井上 源三郎(いのうえ げんざぶろう、文政12年3月1日(1829年4月4日) - 慶応4年1月5日(1868年1月29日)は、新選組六番隊組長。諱は一武(かずたけ) 

六番隊長で淀千両松の戦いで戦死している。
生真面目で誠実な人物だったそうだ。

新撰組は近藤の代になってからは天然理心流の人ばかりかと思っていたがそうではないらしい。
山南敬助 藤堂平助 北辰一刀流
永倉新八 神道無念流
原田左之助 宝蔵院流(槍じゃねえか)

要するに浪士隊であった新撰組はやはり寄せ集めの集団であったのだ。
それが組織として機能したのは近藤・土方等のリーダーシップがあったからだろう。

そんな事を「土方歳三最期の一日」を見ながらぼんやり考えた。
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2006年01月03日

帰宅しました

正確には帰省してそれから帰宅しました。
私が実家でごろごろ「日本の話芸」を見ている間に「扇里色」が新しくなりました。
新しい写真も加わって本当に満足。サイトを確認できたのは帰ってからでしたがね。

という事で、生まれ変わった「扇里色」
http://www.eps.ddnn.jp/~senri/

当然作ってくれたのはきたがわめぐみ様
http://meg.chu.jp/


今日は親戚一同が集まっての新年会
小さん師匠の誕生会があったり、去年は黒門亭出演となかなか私は参加できないのですが、今年は元日に実家に帰っていた事もあり、無事参加してきました。
なんだか年々人数が増える。
今年は当然お婆ちゃんは居ませんが、妹は結婚して子供も居るし、従兄妹も去年結婚したし、従兄弟も(ややこしいな)今年結婚するのでそのお嫁さん(予定)も参加。
初参加の人はボケた(振りをした?)お爺ちゃんからの、
「あなたはどちら様ですか?」
という質問を30回くらい受ける洗礼があったりします。

遂に所帯持ちレースでブービーになってしまった、孫最高齢の日記でした。
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2006年01月02日

モブログ 実家から

しかし元日に紋付でなく洋服で過ごしたのは久しぶりですが、楽ですね。移動が楽、師匠の家の片付けが楽。来年もこれでいこう。

今夜は実家に泊まります。明日は親戚が集まり、夜には帰ります。大晦日から随分コメント頂いていますが帰ってからお返事しますね。
posted by 入船亭扇里 at 01:06| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年01月01日

モブログ 謹賀新年

明けましておめでとうございます。

いやーよく考えたらうちは喪中でしたね。年賀状も出しちゃったけど。初詣も済ませました。

これから各席に師匠の手拭いを届けて、それから師匠の家で新年の挨拶。細々と雑用があるかなと、今年は洋服で歩いています。

今年も良い年でありますように。どうぞよろしくお願いします。
posted by 入船亭扇里 at 09:19| 東京 ????| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記

2005年12月30日

まだ胃が落ち着かない

昨日は予告通り忘年会
こんなに長く飲んでたのは久しぶり。普段飲まない堅物でつまらない人間のせいか、すっかり前後不覚です。
俳句も作ったのだけどあんまり覚えてないや。今年は選ばれなかったし駄作だったのでしょう。

これから仕事納め。紀伊国屋に行ってきます。
posted by 入船亭扇里 at 18:01| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2005年12月29日

入船亭扇橋今年最後の高座は「浪花節をちょっぴり」

別にそんな題であるわけでもないのだが、簡潔に伝わると思いまして。

今日は今年最後の洗濯に始まって、年賀状書いて、師匠の着物を回収しに新宿へ。
暮れの新宿は酔っ払いだらけで素敵ですね。

明日の予定は、
お墓参りに行く師匠を見送る。
一門がお墓参りをしている間におかみさんと大掃除
夜は一門の忘年会(俳句会)

年に一回の俳句を詠む日ですね。
それとお墓参りも私は最近留守番ばかりですが中々大変です。
八代扇橋、三代四代三木助、扇蔵、小さんと廻るのですが、東京をぐるっと一周します。
年明けたら私も廻ってくるかな。
お婆ちゃんの墓参りもしなくちゃいけないな。
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2005年12月28日

引越し完了

掲示板を新しくしました。
前のは別に削除したわけじゃないんで検索すれば引っ掛かると思いますが、状況はあの通りです。新しい方はセキュリティーがバッチリらしいんで、もしもの時は対応してみます。
広告が付いちゃうのがちょいと不満ですが、ネロ君が作ってくれるまでこれでやっていきましょう。お気軽に書き込んでくださいませ。

しかし無料の掲示板ってたくさんあるんですね。どれにしようか悩み過ぎました。一番使いやすそうな、素人でも使いこなせそうな、早い話がダウンロードとかして自分で設定したりしてFFFTPとか使わないでもできそうなのを選びました。PC使いこなせてないなホント。。。

それにしたって3時間は時間掛け過ぎかな。
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2005年12月27日

生き様という言葉は無いらしい

あまり世間がディープインパクトについて騒いでいないね。負けるのは想定の範囲内だったのか、フィギュアスケートの方がインパクト強かったのか。私は有馬記念よりスケートをちゃんと見ていました。

大村は戊辰戦争後、新政府の幹部となり軍制を担当する。
木戸・大村の主張は徴兵による「農兵制」であったが、薩摩・長州・土佐藩兵を中心に兵を編成するという主張の大久保等と対立。会議は独裁者大久保の主張が通り、大村は一旦野に下る。しかし、実力・声望の上から見て大村に変わる人材は無いという木戸等の主張により政界に復帰。兵部大輔に就任することとなった。
大村は兵部大輔に就任すると、早速戊辰戦争で参謀として活躍した「門弟」 山田顕義を兵部大丞に推薦し、彼に下士官候補の選出を委任した。山田は山口藩諸隊からを中心に約百名を選出し、9月5日からは京都に設けられた河東操練所において下士官候補の訓練を開始している。また大村は、2年6月の段階で大阪に軍務官の大阪出張所を設置していたが、9月には同じく大阪に兵部省の兵学寮を設けた。このほか京都宇治に火薬製造所をまた大阪に造兵廠を建設することも決定された。このように大村が建軍の中核を東京から関西へと移転させたことについては、大阪がほぼ日本の中心に位置しており、国内の事変に対応しやすいという地理上の理由のほかに、自身の軍制改革に対する大久保派の妨害から脱するという政治的思惑によるものも大きかった 。そのほか大村が東北平定後の西南雄藩の動向を警戒し、その備えとして大阪を重視したとの証言もある 。
このように大村が着々と既成事実を構築していた明治2年9月4日、彼は京都三条木屋町上ルの旅館で刺客に襲われ重傷を負った。兇徒が所持していた「斬奸状」は、大村襲撃の理由が彼の急進開化主義に対する強い反感にあったことを表している。辛くも一命をとりとめた大村は山口藩邸に移送され数日間の治療を受けた後、大坂の病院入院し蘭医ボードウィンの手術を受けるが、11月5日容態が悪化し死去。享年46。

大村の「農兵論」は彼の後継者である山県有朋に引き継がれて、後に徴兵令として実現される事となる。


ここまでくると大村の凄さがわかる。大村は確固たる防衛構想を持った軍人なのだ。大久保は大した男だがやはり武士であるという事を捨てきれない。兵農分離以来の軍事は武士が担当するという考えを改められなかったのだろう。対して大村は軍の近代化を目指した。時代の流れによってこれは実現したのである。
そして大村は刺客に襲われ命を落とす。そう動乱期の実力者というのは暗殺の標的になるのだ。奇しくも大村と対立した大久保も暗殺されている。
考えてみれば、西郷・木戸もろくな死に方をしていない。日本に生まれた英雄の運命なのか。
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2005年12月26日

アグネスデジタルが強過ぎる

ディープインパクト敗退ってのは、JRAも困るんだろうな。
後楽園場外はディープ一色だったのに。

万延元年(1860年)故郷の萩藩の要請により江戸在住のまま出仕して長州藩士となる。扶持は年米25俵。文久3年(1863年)萩に帰国。西洋学兵学教授となり、博習堂での講義を行う。慶応元年(1865年)には馬廻役譜代100石取の上士となり藩命により大村益次郎永敏と改名。藩政改革における軍事体制の整備を担当し、慶応2年(1866年)、6月の幕長戦争(第二次長州征伐)において石州口方面の指揮を担当。幕府側を悉く撃破し浜田まで進撃。浜田城を陥落させる。藩論において討幕運動が高まり東上策が唱えられると、自重論を説く。

明治元年(1868年)2月には京都に赴き、王政復古により成立した明治新政府の軍防事務局判事加勢として朝臣となる。4月には大坂から江戸に進駐し江戸府判事を兼任。上野において彰義隊を破る(上野戦争)、5月には鎮台府の民政会計を任される。戊辰戦争では兵站参謀として、東北諸藩の奥羽列藩同盟軍や抵抗した旧幕臣らに対し江戸で軍略を練る。明治2年(1869年)2月に函館・五稜郭を制圧し戊辰戦争が終結。

大村は周防生まれなのに、宇和島藩に出仕したり、長州に戻ったり、幕臣になったり朝臣になったりと忙しい。竜馬も土佐郷士→浪人→海援隊と所属を変えたがる男だが、大村の方が根を張るというかしっかりしている。立場があやふやという事が無い。
そして戊辰戦争。大村の軍事的才能が如何無く発揮される。上野戦争の跡は実際に上野公園を歩いてみるとその様が手にとるようにわかる。興味がある人は是非歩いてもらいたい。西郷さんの像辺りなんかはもう激戦の跡地だ。
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2005年12月24日

サンデーセイラがジャパンカップ勝ちやがった。。。

今日後楽園のジェットコースターに初めて乗ったのですが、悲鳴を上げるほど興奮しました。私は高い所は苦手です。

宇和島時代の益次郎。
嘉永6年(1853年)伊予国宇和島藩の要請で出仕。妻と共に宇和島に移り、100石取の上士格御雇となる。西洋兵学・蘭学の講義と翻訳を手がけ、54年、55年には長崎へ赴いて軍艦製造の研究を行い、洋式軍艦の雛形を製造する。長崎へは二宮敬作が同行し、文政年間に出島へ来航したドイツ人医師シーボルトの弟子であった敬作から、シーボルトの娘で産科修行をしていた楠本イネを紹介される。この頃、村田蔵六と改名。安政3年(1856年)、4月に江戸に出て「鳩居堂」を開塾。蘭学・兵学・医学を教える。宇和島藩御雇の身分のまま、同時に幕府の蕃書調所教授方手伝となり、月米20人扶持・年給20両を支給される。安政4年(1857年)幕府の講武所教授となる。

なんと、一介の医者というか蘭学者が見様見真似で軍艦(いわゆる黒船)を作ってしまったのである。大村はこの時設計図すら見たことが無いという事を聞いた事があるが、それは誇張だろう。大村は最新鋭の武器、軍制に対してかなり執着があったように思える。これが後の上野戦争にも影響されるわけだが。そしてかなりのリアリスト。改革には竜馬のような想像力逞しい奴も必要だが、大村の様に現実を見て的確な判断ができる人もまた必要ということだろう。
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2005年12月23日

おーい大村くん

根多が無いと隣のネロ君に相談すると幕末をやるように言われたので、今回の歴史再考シリーズは幕末から幾つか。
幕末の天才っていうと誰を浮かべますか?
文句無しは坂本竜馬。それから勝海舟、大久保利通、小栗上野介、岩崎弥太郎等かしら。
強烈な印象というところだと吉田松蔭ですかね。
しかし、今回取り上げるのは大村益次郎です。

私が大村について知っている事といえば、
おでこが広い。
医者。
長州出身なのに宇和島藩。

このくらいか。
というわけでWikipediaから引用。

周防国吉敷郡鋳銭司(すぜんじ)村(現・山口県山口市鋳銭司)に生まれる。天保13年(1842年)、防府の梅田幽斎に医学や蘭学を学び、天保14年(1843年)4月には、梅田の勧めで豊後国日田の広瀬淡窓の門下となり、44年6月まで学ぶ。弘化3年(1846年)には大坂に出て緒方洪庵の適塾で学ぶ。適塾在籍の間に長崎に1年間遊学する。長崎遊学後、塾頭まで進む。嘉永3年(1850年)父親に請われ帰郷し村医となり、村田良庵と名乗る。嘉永4年(1851年)隣村の農家の娘・琴子と結婚する。

いきなり長州じゃなかった。。。
若き日の大村はどう見ても医者である。それも名医になろうという志を感じる。緒方洪庵の適塾というのは凄まじかったみたいで。徹底したスパルタ教育。寝食を共にして皆が皆塾頭を目指すという。時代がそういうものを要求したのだろうか。人間の本質は勉強をしたいんだよ。

という事で、次回は宇和島の益次郎です。
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2005年12月22日

すまん、またやってしまった

世代4強を揃えたウィニングポスト。もちろん4強とはスペシャルウィーク、セイウンスカイ、グラスワンダー、エルコンドルパサーの事。

国内3冠はセイウンスカイに任せると、楽々3冠達成。古馬になってからは、ドバイシーマクラシック、ガネー賞、コロネーションC、プリンスオブウェールズS、愛セントレジャー、メルボルンC、香港ヴァーズ勝ちって書くのもくたびれるくらいの名馬っぷり。

現実のダービー馬スペシャルウィークはNHKマイルから欧州ダービー狙い。英2着で愛ダービー勝ち。キングジョージ2着、英セントレジャー勝ち、凱旋門賞・BCターフ2着、香港C勝ち。古馬戦は現実と同じローテ。何故か宝塚と秋天しか勝てなかった。

グラスワンダーはマイル路線。英2000ギニーやBCマイル連覇などを含めGI12勝。連対率100%とという怪物になった。

問題はエルコンドルパサー。米3冠に挑戦するも惨敗続き。悔しいので欧州に転戦しても勝てない。初GIはカナディアン国際S。ただ古馬になって一変した。
香港、星国はともかく、アーリントンミリオン勝ち等を含め。54点のダントツでワールドシリーズ優勝。
血統的背景からエルコン系を確立させたいと思った。何故ってスペシャルはSS、セイウンは数少ないハイペリオン、ヘイルトゥーリーズンのグラも同様。ならミスプロからエルコンを独立させたい。自分で所有していれば死なないしね。

という事で次の目標はエルコン系です。
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2005年12月20日

気がつけば6時間

若手研精会忘年会
場所は新宿二丁目、小駒さんとの会の後によく行くお店。
時間は午後3時から。

前にも書いたが二ツ目がうわっと集まると、それはそれは盛り上がる。五月蝿いくらい。
お互いの過去やプライベートはもう丸裸です。

その後歌舞伎町のダーツバーへ。
初めて行ったよ。もちろんダーツも初めて。
私のダーツを投げるその姿・・・格好悪いです。
昔から、走る姿、ボーリングをする姿の格好悪さに定評のある私ですが、今日一つ増えました。
でもダーツってのは面白いもんなんですね。格好悪い上に下手だけど。
いつか狙ったところに刺さるようにしたいなあ。
どなたか練習に付き合ってくださいませんか。
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2005年12月18日

曽根崎真珠

理論該当馬、準該当馬共に凡走・・・勘から生まれた理論なんてこんなものなのだろうか。もうしばらくこの理論につきあってみたい。

パール展」国立科学博物館

アングラな方の勉強会に来てくださるAさんに誘われまして。
真珠ですよ、真珠。真珠が貝の中で形成される事は知っていましたが、そんな予備知識が全て吹っ飛んでしまいました。
まず、真珠って丸いものだと思ってましたよね?私だけですか?
平べったい物だとか、いびつな形の物が沢山あるんです。
真珠ってアコヤ貝から取れるものだと思ってましたよね?私だけですか?
他の貝からも取れるんです。牡蠣とかからも取れるんです。
真珠って丸いまま装飾するものだと思ってましたよね?私だけですか?
真珠自体に彫刻をしたりしたものもあるんです。

真珠そのものだけでなく、貝の真珠層を使って装飾したものも面白かったな。
奥が深いのですね。
ただ真珠の形成過程の展示より、やはり装飾品の方に目が行く。私は俗物なのでしょうか。
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2005年12月16日

原因不明です

なんだかあちこちで有馬記念について語られ始めたようで。
私も少し検討してみる。
予定としては、
ディープインパクト
当てにいくなら当然。というか負けるという想定が難しい。
○オペラシチー
中舘というのがどうかだが、疲労という点ではこやつが一番軽いかなと。
▲シルクフェイマス
昨年の三着馬。理由はオペラシチーと同じ。
△スズカマンボ
秋2戦はほとんど走っていない。

「扇里色」HPが最近繋がらないみたいでご迷惑お掛けしてます。
原因は私にもわかりません。たぶん何かあったんでしょう。
しばらくはブログで活動します。
ご連絡ありましたら、コメントを残してくださいね。ブログの内容とは関係無しでも。
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